4.生存バイアスって、雑学なの?

生存バイアスは認知バイアスから派生したバイアスと考えるといいでしょう。雑学的な側面もありますが、どちらかというと心理学の領域です。
雑学であれ、心理学であれ、生存バイアスは、生き残ったわずかな事例を挙げることで、的確な判断を失わせることを言います。
いずれにしろ、生存バイアスに類する広告やできごとは巷に溢れています。

生存バイアスの意味とは?認知バイアスとの違いは?バイアスに要注意!
(画像=『Lovely』より引用)

ある投資ファンドが「3年以上続けた方は、みんな儲けていますよ。」という触れ込みで勧誘していたとします。
みんな儲けているから、自分も儲かるかもしれないと思って、投資をしてしまう人がいます。
ところが、3年以上続けられる人は投資のプロか、資金に余裕のある人です。損ばかり出して、資産運用ができなくなった人は途中でやめています。ちょっとした雑学があれば、すぐに分かります。

生存バイアスの意味とは?認知バイアスとの違いは?バイアスに要注意!
(画像=『Lovely』より引用)

- 親が子どもに無理強いするのも生存バイアス?

iTunesでダウンロード数が1位になったアーティストの年収が、1億を越えたというニュースが流れたとします。
このニュースを聞いて、自分の娘に無理やりアーティストになるよう親が誘導するというのも生存バイアスの一つです。

生存バイアスの意味とは?認知バイアスとの違いは?バイアスに要注意!
(画像=『Lovely』より引用)

世の中にアーティストはたくさんいます。仮に1,000人いたとします。その中で1位になれるのは、1人だけです。また、1位になっても何らかの偶然が関わっています。
他に大物アーティストがいなかったとか、Youtubeなどで有名人に紹介されたといった具合です。

ほかの999人のアーティストは、やっと生活していけるだけの収入しかないかもしれません。しかも、その999人でさえ、数々のオーディションを通過して、生き残った強者ばかりです。
こうした現状を知らずに娘を歌手にさせようとした親は生存バイアスに陥っていると言えるでしょう。

生存バイアスの意味とは?認知バイアスとの違いは?バイアスに要注意!
(画像=『Lovely』より引用)

5.徳川家康と生存バイアスのつながり

葵の家紋で知られる徳川家康には、いいイメージを持つ人が多いです。
実は徳川家康も生存バイアス例の一つです。

もともと織田信長と豊臣秀吉は、強い結びつきがありました。織田信長が本能寺の変でやられたとき、秀吉は中国大返しを実行して明智光秀を討ち取りました。

生存バイアスの意味とは?認知バイアスとの違いは?バイアスに要注意!
(画像=『Lovely』より引用)

しかし、徳川家康は、秀吉の子どもの豊臣秀頼の時代になったとき、征夷大将軍と名乗り、秀頼勢に対抗します。そのときに活躍したのが石田三成です。
秀吉の良き補佐役で、秀頼が家督を継いだ跡も、その才を発揮します。
今でこそ、石田三成は関ヶ原の戦いで徳川家康に負けた総大将という汚名を着せられていますが、これは生存バイアスの徳川家康によって、作られた部分があります。

自分の大義名分を正当化したい徳川家康は、石田三成側を悪者扱いしたくて、うずうずしていました。
あの関ヶ原の戦いでさえ、寺の鐘に彫られた「家」と「康」の字が離れていることから、「家康の首を切った」という意味であると、こじつけて開戦したほどです。
もともと、戦いをするつもりなど、豊臣秀頼や石田三成側にはなかったのです。

生存バイアスの意味とは?認知バイアスとの違いは?バイアスに要注意!
(画像=『Lovely』より引用)

- 石田三成は生存バイアスによって、悪者に?

かくして、江戸に幕府を開くことに成功した徳川家康(生存バイアス)は、石田三成をとにかく悪者扱いします。石田三成に関わるものを排斥し、関ヶ原の戦いで石田三成は無残に負けたと流布します。
こうした宣伝活動が現代まで引き継がれ、石田三成は悪者という生存バイアスが働いたのです。

石田三成の殿様にあたる豊臣秀頼は、大仏や寺の改修に精を出し、戦いそのものを好まなかったようです。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉があるように、歴史というのは、当時の権力者(生存バイアス)の手によって、都合よく書かれるものなのです。