日本の怖い話でおなじみの丑の刻参り。頭にろうそくをつけて白装束の女性の姿を思い浮かべる人が多いと思いますが、丑の刻参りとはいったい何なのかよく知らない人も多いのではないでしょうか?今回は丑の刻参りの詳細と、目撃されたらどうなるかについてご紹介します!
恐ろしい丑の刻参りっていったい何?
日本の恐怖映画や怖い話などでよく目にする丑の刻参り。雑学に詳しい方なら知っている人も多いと思いますが、丑の刻参りとは丑の刻、つまり深夜1時から3時までの間におこなわれる呪いの儀式のことをいいます。
丑の刻の時刻に誰にも見られることなく憎い相手を藁人形に見立てて相神社の御神木に五寸釘で打ちつけると、七日目に満願となりその憎い相手を呪い殺すことができると言い伝えられています。
丑の刻参りの起源はとても古く、江戸時代には現在のような様式になっていたとみられます。現在でも丑の刻参りをする女のおどろおどろしい恐怖の絵巻などが美術館や資料館などに残されています。
呪いについての雑学を誇る人はとても興味をひかれることでしょう。
丑の刻参りの起源とは?
では日本に古くから伝わる丑の刻参りの起源はどういったものなのでしょうか?雑学になりますが丑の刻参りの起源についてご紹介いたします。
丑の刻参りの起源は、京都の貴船神社に大きく関係しています。
もともと貴船神社には「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」にお参りをすることで願い事がかなうという言い伝えがありました。この貴船神社の言い伝えが人々の間で流れるうちに、やがて呪いの願うもかなうということで広まったのだろうと言われています。
また丑の刻参りには貴船神社が関係する「宇治の橋姫」という伝説も由来すると考えられています。宇治の橋姫は嵯峨天皇の御世の人であったのが、非常に人を妬む心を持っており、やがて妬んだ人を取り殺す鬼となってしまいます。
その鬼となった橋姫を祓ったのが陰陽師晴明の方と言われる人物で、陰陽師の人形祈祷を使った方法で橋姫を鎮めたのだと伝わっています。
そしてその陰陽師晴明の方の人形祈祷で使われた人形が、後の丑の刻参りで使われる藁人形を使った呪術の方法に変わっていったのだと伝えられています。
日本には今でも陰陽師晴明の方の子孫がと言われる人たちが存在します。
恐怖の丑の刻参りですが、元をただすと陰陽師の力の効果を信仰する人たちの思いや願いが生み出した大切な儀式だったと考えることもできるでしょう。
丑の刻参りで有名な貴船神社とは?
恐怖の丑の刻参りと深く関わりがあるとされている京都の貴船神社ですが、現在でもその名残はあるのでしょうか?
京都市の左京区に鞍馬貴船町にある貴船神社は、今でも丑の刻参りに訪れる人があらわれると言われます。ただし貴船神社としては正式に丑の刻参りを禁止しているようですので、深夜に何らかの方法で忍び込んで呪いの儀式をしている人がいるということになります。
貴船神社は縁結びや水占いなども有名で人気の観光スポットでもありますが、神社の中の大きなご神木には五寸釘を打った穴などがいまだに残っているところもたくさんあるようです。神社で使い終わった藁人形を見たという人もいます。
雑学本などを見た方が興味本位で訪れるような場所ではありませんので、きちんと礼節をもって参拝することを心がけましょう。
またお参りをしようと早朝に貴船神社を訪れた人が丑の刻参りをしている人を見たという例もありますので、特に女性の方はあまり人がいない時間に貴船神社を訪れるのはやめておいた方が良いかもしれません。
木々の間からかなづちを打つ音が聞こえてきたとしても、丑の刻参りを目撃しようとしたり見たいと思ってはいけません。
貴船神社は神聖な空気の中にもどこか人の怨念を感じさせるような、不思議な空気をまとう神社でもあります。