今回のレッスンでは、どういう場合に訳注をつけるかについて吟味してみたいと思います。

私はすでに約30冊の翻訳書を出版してきていますが、私の経験から言えば、どういう場合に訳注を付けるかに関しては、唯一絶対の正解というものはないというのが私の見解です。

訳注を付けずにそのまま訳しただけで原著者がいわんとする意図が正確に読者に伝わるのであればそれで十分でしょうが、そもそも言葉が異なるだけでなく、文化も異なる国に住む人が書いたものを訳しているわけですから、日本人にわかりづらいことは多々あります。

そこで私は読者の理解を促すために、読者が知らないかもしれないということで、かつ、重要と思えることには訳注を付けるようにしています。ただし、あくまで私の感覚が基準となっており、客観的な基準があるわけではありません。

例えば、人名、著書名、事件名などの固有名詞はその典型例です。ただし、一般名詞であっても原著者の国には存在しても日本には存在しない物である場合は、それがどのようなものかを訳注として説明することがあります。

では、それ以外に訳注をつけたほうがいいという場合はあるでしょうか。私の答えは、イエスです。今回はその一例をあげてみたいと思います。次の英文を訳す場合、あなたはどう訳すでしょうか。

You’ve probably heard of them as the “Beatitudes,” the eight positive attitudes that come from the eight lines of Jesus of Nazareth’s famous “Sermon on the Mount”:

★Blessed are the poor in spirit, for theirs is the kingdom of heaven.

★Blessed are the those who mourn, for they shall be comforted.(中略)

Blessed literally means “happy.” So, whether you are winning or losing, succeeding or failing, you can be happy if you will discover the eight positive attitudes given to us by Jesus in the Beatitudes.

まず試訳してみましょう。

試訳:あなたは「八福」(イエス・キリストが「山上の垂訓中」に説いた八つの幸福の教え)という言葉をお聞きになったことがあるかもしれませんね。「八福」とは次の八つの教えのことです。

★「心の貧しい人たちは、さいわいである。天国は彼らのものである」

★「悲しんでいる人たちは、さいわいである。彼らは慰められるであろう」(中略)

「blessed」は「happy」という意味です。ですから、勝とうが負けようが、成功しようが失敗しようが、イエス・キリストが「八福」の中で私たちに与えてくれた「八福」を見つけることができれば、私たちは幸せになれるのです。

さて、この試訳のままでいいでしょうか。