横浜流星の「表向きには良い男」からにじみ出る恐ろしさ

横浜流星の「恐怖すら覚える演技」がスゴい。誘拐事件を描く『流浪の月』
(画像=『女子SPA!』より引用)

誘拐犯と被害女児という関係への拒否反応、いや軽蔑や嫌悪の感情を一手に引き受けるキャラクターが劇中にいる。横浜流星演じる亮だ。亮とは、かつての被害女児・更紗の現在の恋人である。

 亮は安定した企業に勤め、普段は優しく男気にも溢れ、かつて恋人が誘拐された事実にも社会的な常識をわきまえて対応している、表向きには良い男だ。だが、恋人の更紗に性的な関係を迫る様が強引であったり、言葉の端々からそこはかとない束縛や独占欲が見えてきて、彼の家族からも隠された暴力性のことを聞かされる。じわじわと蓄積される不安が、とある形で爆発する様は、本気の恐怖を覚えるほどだった。

「哀れ」だからこそ同調もしてしまいそうになる

 その恐怖は、単に暴力的だったり支配的ということだけでもない。亮という人物が「哀れ」にも思えることにもあった。なぜなら、彼は真剣に思いを寄せ結婚の約束までした相手が、「かつての誘拐犯に再会している」ことを知るのだから。

 その後の亮は完全に間違った行為に及んでしまうのだが、そこに至るまでの拒否反応そのものは理解できる。彼は彼なりに正しいことをしていると信じているのだと思えるし、自身を被害者のように思い込んでいるように見える。噴出させる暴力性も独占欲も絶対に肯定できるはずがないのに、そうなってしまう彼に心から同調してしまいそうになることも、また恐ろしいのだ。