5月13日より、凪良ゆうの小説を原作とした映画『流浪の月』が公開されている。本作は松坂桃李と広瀬すずがW主演を務め、世間から「誘拐犯とその被害女児」という奇異の目で見られる役柄に挑む話題作だ。

横浜流星の「恐怖すら覚える演技」がスゴい。誘拐事件を描く『流浪の月』
(画像=『女子SPA!』より引用)

(C) 2022「流浪の月」製作委員会

 その2人が素晴らしいことはもちろん、本作を観て誰もが絶賛するのは横浜流星なのではないか。演じているのは「表向きは常識的な社会人」であるのだが、次第にその役柄の人間性と、横浜流星という俳優の演技力が、本気で恐ろしくなってくるほどだったからだ。作品の特徴と合わせて、その理由を綴っていこう。

(※編集部注:以下、物語上の重要な場面の描写を含みます)

“誘拐犯”を簡単には断罪しない

横浜流星の「恐怖すら覚える演技」がスゴい。誘拐事件を描く『流浪の月』
(画像=『女子SPA!』より引用)

『流浪の月』のあらすじはこうだ。家に帰れない事情を抱えた小学生の更紗は、孤独な大学生の文と出会い、家に招き入れられるが、夏の終りに2人は「被害女児」と「誘拐犯」となってしまう。それから15年、ファミレスでアルバイトをしている更紗は経済力のある恋人の亮との結婚も決まり、穏やかな生活を続けていたはずだったが、ある日訪れた隠れ家的なカフェバーで文と再会し、人知れず通い続けることになる。

 物語の根底にあるのは「大学生の青年が小学生の女の子を家に招き入れ、誰にも知られない共同生活をしていた」という過去。それは当然、大人による未成年者誘拐の罪に問われる、社会的・法律的に許されざる事実だ。

 だが、『流浪の月』の劇中ではその危うすぎる2人の関係を単純に断罪しない。世間的には「凶悪なロリコンの誘拐犯」と「哀れなその被害女児」という関係だが、実際の彼らの生活を観てみれば、決してそれだけではない、恋人でも疑似的な親子でもない、そもそも言語化ができないような「絆」が生まれているようにも見えるのだ。

2人の関係を無条件に肯定もしない

横浜流星の「恐怖すら覚える演技」がスゴい。誘拐事件を描く『流浪の月』
(画像=『女子SPA!』より引用)
その一方で、彼らの関係を無条件に肯定をすることもしていない。少女が家に戻らずに青年の家で暮らし続けること、かつての誘拐犯に再会したことで巻き起こる世間の拒否反応などから、それがいかに世間的な「正しさ」から外れているかも、劇中では容赦なく描かれるのだ。  しかも、周りの反応だけにとどまらず、彼らのやり取りそのものにも「愛情だけとは思えない危うさ」をそこはかとなく感じられる。青年と少女のときはもちろん、15年の時を経て再会してからも、微笑ましいやり取りだけではない、常識を逸脱したような言動がみて取れるのだ。