男性優位社会が複合的に作用して生まれたヒロイン
――映画に出てくる様々な記号の解釈は観客に委ねるとして、登場人物全員が善悪を兼ね備えています。ユカは女優になりたいという夢を餌に大人の男性に搾取されますが、決して搾取されるだけの可哀想な被害者ではなく、ある人々にとっては加害者でもある。小山田にしても、ユカを愛していると自分は思い込んでいますが、彼の愛は利己的で支配欲のようにも見えます。
児山「ユカは男性優位社会から複合的に作用して生まれてきた、苛虐(かぎゃく)された存在です。でも、だからといって苛虐者の嘘や裏切りが許されるのか――。個人的には不誠実はよくないとは思っていますが、他人を簡単に断罪できるのか――。世の中の集積された矛盾をユカを通して描ければと思ったんです。
そもそも、ユカの本質を何も見抜けないまま、自分の愛は真っ直ぐだと思い込んでいる小山田が純粋なように見えて、ひょっとしたらこの映画のなかでは一番のクソ男かもしれない。男性にも女性にも肩入れせず、登場人物から一定の距離感を保って撮影したのは、そのほうが物事を先入観なしで映し出せるのではないかと思ったからです」
意図的に登場人物から距離を置いた
――作り手の主観的なメッセージを観客に押し付けたくないから、被写体から距離を置くのですか?
児山「それはカメラと被写体の物理的な距離感でもあるし、また心情的な部分もあるのですが。僕が演出をするということは無意識的に自分の意識が介在してしまうのは仕方ない、だからこそ各登場人物とは等距離で接するということを心掛けました」
――とはいえ、非常にエモーショナルな作品に仕上がっていますよね。例えば、ユカがもうひとつのバイト先でもみくちゃになって泣き叫ぶシーンでは、私は涙が止まりませんでした。
児山「技術的に説明すると、あのシーンの前半はジブという機材を使ってフィックスに近い撮影をしたのですが、後半では手持ちカメラに乗り換えました。固定から手持ちに乗り換える瞬間、つまり、“静から動”へ移行する瞬間がバレないように工夫し、編集時にも静から動へ移行するアクセルをどこで踏むかにも苦心しました。『気づいたらカメラが動いている』というほうがあの場面が観客に感覚的に入っていくかと思ったんです」