「特別な瞬間とか、特別だったこととか人って忘れちゃうじゃん。そんなの意味あるの?」 「好きな人が嘘をついているかもしれなくて。でも、たとえ嘘をついていたとしても、なんでそれを許せないんだろう」。
愛の不確実さを描いたラブーストーリー『猿楽町で会いましょう』が6月4日に公開されました。女優志望の読者モデルと駆け出しのカメラマンが繰り広げるラブストーリーというと、キラキラとした青春映画に聞こえますが、人間が抱える利己性や欺瞞(ぎまん)、そして、日本の女性差別的な社会風俗を捉えた重厚なリアリズム映画に仕上がっています。
メガホンをとったのは本作が長編映画デビューの児山隆監督。なぜ、ラブストーリーにセクシズム(性差別)や複雑なヒューマニティを盛り込んだのか。児山隆監督に話を伺いました。
憧れと現実の狭間にある空気感が漂う「猿楽町」
――まだこの世に存在しない映画の予告編を制作し、グランプリには本編の制作費を授与する『未完成映画予告編大賞 MI-CAN』で満場一致でグランプリを受賞した『猿楽町で会いましょう』ですが、応募条件のひとつとして、作品の舞台となる地域名をタイトルに入れなくてはいけなかったと聞きました。渋谷区といえど、渋谷でも代官山でもない、「猿楽町」を選んだ理由は何でしょう?
児山隆監督(以下、児山)「昔、『有楽町で逢いましょう』という映画がありましたが、それを文字ってみたら面白いと思い、『~で会いましょう』というタイトルに決めていました。『猿楽町』を選んだ理由には複合的な要素が絡んでいます。
まず、猿楽町には不思議な空気感があり、感覚的にしっくりときたんです。いわゆる代官山のような“憧れ”の場所と、人が住む“現実”の狭間にある、どこか外界から離れたような空気感がある。猿楽町には高級マンションもボロいアパートもたくさんあるのに人通りが少なくて、『本当にここに人が住んでいるの?』と、渋谷のスクランブル交差点のようなアイコニックな場所にはない、浮世離れした空間や匂いを感じました。
それから、東京在住でも猿楽町のことを知らない人が多いこと。もちろん知っている人は知っているのですが、聞いたことがない人には非常にフレッシュな響きがあります。意外とそんな場所は少なくて、東京のド真ん中にあるのに面白いな、と」
“フェンス”は憧れと現実の狭間を象徴?
――私も渋谷区在住なのですが、確かに、猿楽町には「代官山の隣」という印象しかなく、地域のカラーを感じたことがありませんでした。だから映画の英語のタイトルが『カラーレス(Colorless)』というのも、うなずけます。「憧れと現実の場所の狭間」とおっしゃいましたが、本作には“フェンス”が登場します。このフェンスは、金子大地さん演じる小山田と石川瑠華さん演じるユカの2人が感じる、憧れと現実の狭間を象徴しているのでしょうか?
児山「そう……かも……しれないですね(笑)。それが何かは僕の口からは言い切りたくないですね(笑)」
――ですよね(笑)。ジョージ・A・ロメロが監督した1968年公開の元祖ゾンビ映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が本作には登場します。このゾンビ映画は60年代後半のアメリカの消費社会を風刺していると言われていますが、ユカを通して描写される、日本の“性の消費社会”や“若者を消費する社会”のメタファーとして、ロメロのゾンビ映画を登場させたのかなと思いました。
児山「それは……何とも言えませんが、ご感想をありがとうございます(笑)」
――やっぱり……言えませんよね(笑)。
(ちなみにこの日、監督が着ていたのはアメリカの鬼才ジム・ジャームッシュのTシャツ。ジャームッシュがロメロへのオマージュとして制作したゾンビ映画『デッド・ドント・ダイ』が今年3月に公開されたばかりだから、意味深である)