時戸に感じるリアリティ

 それでいて、時戸を演じる岩田剛典の生々しい感じが、何とも言えず、素晴らしい。まったくリアリティを持てないオムライス発言の台詞なのに、こんな魅力的な男女のやり取りを見たことがないとも思わせる。この場面が仮に夢の中と想定するなら、夢と現実の境目が曖昧になった空間で、時戸という人は自由に振る舞えるだけ振る舞おうとするだろう。

 直美が手際よく作ったオムライスを頬張る口、スプーンを持つ手、その指がぴくぴくと微動し、手を握る瞬間。この場面で青山監督は、時戸というキャラクターをまるで解体していくように岩田の身体をパーツごとに次々捉えていく。生々しいと感じながら、現実感覚を欠いた夢うつつの、この瞬間。それでも、この人気俳優役に圧倒的なリアリティを同時に感じてしまうのは、現実でも同じようにスタアである岩田が演じているからだろうか?

 時戸は、かなり強固なセルフイメージを持っている。画面で確認できる限り、直美と時戸が2度ベッドをともにしたあと、時戸が窓の外のビルボード広告を見下ろして、「あのビルボード全然ダメだ」と言う。けれど、この部屋の外の世界でビルボード広告を見上げる人々は、広告ビジュアルから受ける印象がそのまま時戸のイメージだと思う。まさかタワーマンションを見上げて、憧れのスタア俳優の彼が直美と逢瀬を重ねているなんて、思ってもみない。

 時戸に感じるリアリティが、どこか現実味を欠いているのは、つまり直美の部屋からは見下ろされ、外からは見上げられる広告ビジュアルのイメージによって、時戸の存在があえて不安定な宙吊り状態に置かれているからだ。

青山監督の批評的なアプローチ

 時戸と同様に、岩田もまた、セルフイメージに徹底的に忠実な人である。小説『永遠の仮眠』の特別対談(松尾潔×岩田剛典/仄暗い間接照明の下で)では、著者で音楽プロデューサーの松尾潔に対して、岩田が、「本来の自分は、岩田剛典という商品を客観的に見ているというスタンス」と自己分析していた。自分に求められていることを求められているイメージ通りに再現する岩田は、一挙手一投足、そのすべてを制御し、セルフイメージを絶対に崩すことなく、完璧な形で商品価値を守る。

 そんな岩田のことを、『空に住む』の舞台挨拶で青山監督は、次のように評していた。

「岩田さんは、岩田さんという人間を生きていることにおいて、物凄く聡明な人」

 これは、筆者も岩田にインタビュー取材をしたときに、実際感じたことだった。自分を知りつくしているからこそ、キャラにブレがない。岩田の神経症的なまでのストイックさに対して、青山監督は「聡明」と言ったのではないだろうか。その意味で時戸役は、現実でも紛れもないスタアである岩田を演出する青山監督の批評的なアプローチでもあったはずだ。

すべて計算され尽くした力技

 有名人である時戸には、人目を避けるためか、必ず夜遅い時間に直美の部屋にやってくる習性がある。レストランで食事をしたりと、時戸と直美の関係性が、この部屋の外に及ぶことはない。常に密室サスペンスのような緊張感のあるシチュエーションが演出され、青山監督は、岩田の魅力的な姿を最大限引き出そうとする。

 オムライスを食べに初めて直美の部屋に来たときを除いて、時戸は必ずワイングラスを持っている。他作品でもよくワイングラスを手にする岩田にとって、ワイングラスはアトリビュート(持ち物)のようなところがある。ビルボード広告を見下ろす場面でも、ワイングラスを片手に窓辺に座っていた。時戸がグラスを置けば、左頬を唐突に伝うことになる涙が、驚きと美しさに満ちて見える。ワイングラスをメビウスの輪のように回してみせる彼が、「こういうことだよ」、とよく分からないけれど、意味ありげに言う台詞ですら、美しく響き、直後の官能的な瞬間を引き寄せる。持ち物と仕草、台詞のすべてが計算され尽くしたアクションが次々繰り出されるこの場面。

 夜に生きる人である時戸のベッドシーンはどうだろう。直美をベッドに沈め、彼女の髪を優しく撫でながら、唇を何度も何度も重ねていく。Netflixで独占配信されたドラマ『金魚妻』(2022年)では、初の大胆なヌードに挑戦した岩田だったけれど、ここでは服を着ていることがむしろ官能性を引き立たせている。

 艷やかな衣擦れの音に覚える興奮。かなり危うい性的描写がある小竹正人の原作にこうして抑制の利いた脚色を施し、時戸の野獣性に慎ましい官能性をまとわせた青山監督の演出力。それは、夜に生きる時戸の習性を密室の中であぶり出し、それを岩田剛典というひとりの俳優の魅力を最大限に活かした力技だった。