人とは違う、自分もいい。
My Life「私たちの選択」

結婚する? 子どもを持つ? 仕事はどうする? 現代女性の人生は、選択の連続。そこで本特集では、自分らしく生きる女性たちの「選択ヒストリー」と「ワークライフ」を紹介します

友人の結婚、親からのプレッシャー。社会人になって数年が経つと、嫌でも「結婚」を意識せざるを得ない場面が増える。

でも、2018年時点の未婚率は25〜29歳女性で63.3%、30〜34歳女性で35.6%、50歳時点で一度も結婚をしたことがない女性は約2割と、「結婚しない」生き方もそう珍しいものではなくなった。

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】
(画像=厚生労働省Webページより引用、『Woman type』より引用)

結婚せずとも幸せに生きられる今、結婚をする理由は何だろう。結婚することでより幸せな人生を歩むにはどうしたらいいのか。

幸福学の研究者・前野隆司さんと生命科学者で起業家の高橋祥子さんに、「働く女性の結婚と幸せ」をテーマに話を聞いてみた。

「誰かと一緒に生きる」ことが幸福度を高める

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】
(画像=幸福学の研究者の前野隆司さん(写真左)と生命科学者でジーンクエスト代表の高橋祥子さん(写真右)、『Woman type』より引用)

ーー結婚したい人のほとんどが「幸せになりたい」と思っています。大きな質問になってしまいますが、そもそも「幸せ」とは何でしょうか?

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】

前野さん

私は心理学をベースに「幸福学」の研究をしていますが、調査手法のほとんどは「とても幸せ/やや幸せ/どちらでもない/やや不幸せ/かなり不幸せ」といった選択肢を個人に尋ねるものです。

要するに「本人がどう感じているか」という主観であり、質問の答えは「定義は各自で決めてください」となります。

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】

前野さん

ただ結婚という観点でいうと、あくまで平均値ですが、既婚者の方が独身者よりも幸せな傾向にはありますね。

大雑把に言うと「結婚している人の方が幸せであることは多い」です。もちろん結婚して不幸な人もいるし、未婚で幸せな人もいますが。

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】

高橋さん

幸せをどう定義するかは、生物学的にも客観的には明確になっておらず主観的な指標しかありません。

ただ、人間が進化の過程で集団生活によって生き延びてきたことを考えると、「個体として生き残り、種が繁栄するために行動する」ことが幸せに繋がる傾向があるのではと個人的に考えています。

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】

高橋さん

人との関係性がなければ人類は生きていけません。特に親しい人と一緒に過ごすことに心地良さを感じるのは、それが個体として生き延びる上で有利だからでしょう。

そういう意味では結婚に限らず、親しい他人とパートナーシップを持ち、持続的な関係性を築くことは、幸福度を上げることにつながるのでしょうね。

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】

前野さん

人とのつながりが幸福感につながることは、幸せの研究からも明らかです。

高橋さんがおっしゃる通り、そもそも人間は群れで生きる生物であり、弱い肉体の代わりに強い頭脳を持ち、みんなで力を合わせて生きるように進化してきました。

その背景からも、パートナーシップに限らず仲間がいることが大事だと言われています。

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】

高橋さん

自分が生きる環境が安全であり、「社会的に生きていていい」と思えて、かつ他人と深く関わっている実感がある。

それが、人間という生物にとって幸福を感じやすい状態なのだと思います。

ーー結婚に限らず、友人やきょうだいとの同居など、「誰かと一緒に生きる」こと自体が人間にとって大切なのですね。

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】

前野さん

そうですね。そういう意味では、今の社会全体が一人で生きる方向に向き過ぎているように感じることがあり、少し心配しています。

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】

前野さん

たしかに村社会で力を合わせて生きる社会から、都市化し、個人が自立して生きられる社会になりました。

一人で生きる気楽さもあるでしょうし、それを否定するわけではないのですが、何か困ったときに支え合える人がいた方が幸せではあります。

もちろんその相手が婚姻関係にある必要はないですが、私自身は幸せな結婚生活を過ごしているので、個人的には結婚をお勧めしたいですね(笑)

「運命の相手」も「性格の相性」もない

ーーでは、結婚相手の「遺伝子的な相性の良さ」はあるのでしょうか?

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】

高橋さん

ある程度、自分と近すぎず遠すぎない遺伝的な距離の遺伝子タイプを持つ人が良いと考えられてはいます。

なぜならば、遺伝子の多様性が生まれること自体が種の繁栄の可能性を上げるからです。

例えば全ての人が自分とは最も遠い遺伝子を持つ人と子孫を残したら、最終的には一つの地球人になってしまい、多様性は失われてしまいます。

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】

高橋さん

つまり、人がそれぞれ多様な人を好きになるのは自然なこと。

恋愛はものすごくエネルギーがかかりますが、それはセレンディピティー(偶然の産物)を創出するためです。

そういう意味では、既に決まっている遺伝子的な運命の相手はいないと考えられます。

運命の相手が決まっているとしたら、偶然性は失われ、遺伝子の多様性は担保できなくなりますから。

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】
(画像=『Woman type』より引用)

ーー学歴や収入など、「高スペック」と言われるような相手との結婚を望む人もいます。それは「優秀な遺伝子を求めている」と言えるのでしょうか?

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】

高橋さん

「遺伝子的な優秀さ」と言っている時点で近視眼的であると言えます。

なぜなら優秀な遺伝子というものは存在せず、どんな遺伝子の個体が生き残りやすいかは時代によっても環境にとっても異なるからです。

ですので、本能的に遺伝子が求めているというよりは、社会が作り出した「高スペック」という幻想に翻弄されているだけだと思います。

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】

高橋さん

例えば「高学歴であること」は、少し前まで結婚相手の条件として重要だったかもしれません。

でも、学歴で測れない能力や才能を持っている人が活躍する社会になれば、学歴など意味がなくなります。

つまり、学歴や収入などの社会的なステータスや、身長などの見た目からくる「こういう条件の人が良い」という話には、社会的なバイアスが多分に含まれています。

特にSNSで他人のプライベートが見えるようになったことで、他人との比較がしやすくなりました。世間の声が人を見る目を歪ませている面はあると思います。

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】

前野さん

他人と比較をする人の幸福度が低い傾向にあることは研究からも明らかです。自慢や妬みの感情を持った状態では幸せになりにくい。幸福学的には「自分は自分」と思える状態が好ましいですね。

ーー幸福学の観点で「幸せになりやすいパートナーの条件」のようなものはありますか?

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】

前野さん

夫婦研究をした結果、今のところ相性の良し悪しのパターンは見つかっていません。仲が良い夫婦とそうでない夫婦を集めて分析をしても、何の特徴も見えない。

結局、関係性の良し悪しに関わらず、それぞれの夫婦にはそれなりに違いがあります。

その違いによって仲良くなるか、それとも違いが喧嘩の原因になるかは、紙一重なのです。

「運命の人は主体的につくるもの」幸福学×生命科学研究者に聞く働く女性の結婚と幸せ【前野隆司×ジーンクエスト高橋祥子】

前野さん

違いを尊重し合えれば良好な関係が築きやすく、「なぜあなたは分からないの?」となってしまえば関係性は悪化する。

その差を生むのはコミュニケーションなのでしょうね。

要するに「性格が合う」というのは虚像とも言える。合うと思えば合うし、合わないと思えば合わないものなのかもしれません。