放送通訳の現場では毎回多種多様な話題が出てきます。政治、経済はもちろん、最先端技術や医学、スポーツもお目見えします。CNNではアフリカ関連の番組もあり、日本ではなかなか触れることのできない国について知ることもできます。毎回オンエア直前に猛勉強をして臨み、終了後は復習をしながら遠い国に思いを馳せます。

これがいわゆる「通常期」のニュース現場です。これが一転するのが「速報」が入るとき。具体的には災害や紛争です。

20年以上この仕事を続ける中、様々な「一大事」に遭遇してきました。90年代後半に起きたバルカン半島におけるユーゴ内戦を皮切りに、スペインで続くバスク地方の独立紛争、インドネシアの東チモール独立などはBBC時代に通訳しました。9.11同時多発テロが起きたときはちょうど産休中でしたが、半年後に職場復帰したときも「テロとの戦い」は続いていました。その後も2003年のイラク戦争、最近では米軍のアフガン撤退などに携わってきました。

災害では2004年のスマトラ島沖地震を始め、2014年のマレーシア航空機墜落事故および同年の撃墜事件、ハイチ大地震、東日本大震災を始め、工場爆発のような大規模事故、森林火災、洪水や噴火などのニュースに接してきました。

こうした突発的事件・事故が放送通訳現場に入ってくるたびに思い出す言葉があります。敬愛する精神科医の故・神谷美恵子先生が遺した、 「なぜ私たちでなくあなたが?」 です。

なぜ、私は空調の行き届いたこのブースでこれを通訳しているのか?
なぜ、業務が終わり職場を後にすれば、また穏やかで安全な日常に帰れるのか?
なぜ、私はそうした状況に身を置くことができているのか?

こう感じるのです。

高校時代の歴史の授業で私は「戦争特需」という用語を初めて知りました。第二次大戦後の復興のさなかにあった日本は、お隣の朝鮮半島で発生した戦争により、多大な利益がもたらされたのです。日本を中継基地にしたアメリカ軍のお陰でした。

今、ウクライナでは戦争が続いています。ロシアによる攻撃が始まって以来、放送通訳者は一気に駆り出されるようになりました。日ごろCNNをメインに稼働している私にも、民放各局からお声がかかりました。これも一種の「戦争特需」です。

ことばを生業とする私にとって、ご依頼をいただくのは毎回とても光栄なことです。けれども、こうした非常事態において現場から呼ばれれば呼ばれるほど、自分自身がその「特需」を受けているのではないか。そう思うと切なくなるのです。これで本当に良いのか、と。

CNNの戦場特派員クラリッサ・ウォード記者は、今回のウクライナを始め、過去にはアフガンやシリアなど世界の紛争地域から果敢にレポートを届けています。どれも視聴者に問題提起をしてくれます。2016年8月には国連安保理でシリアの惨状を訴えました: