今回ご紹介するのは、現役医師のYさんです。留学予定があるため英語を勉強中のYさん。書店で語学書の棚を見ていたところ、隣の翻訳関連の棚にあった『翻訳家になるための7つのステップ』が目に入ったそうです。本書を読んで「寺田さんってどんな人なんだろう?」と検索し、今回の企画を見つけて応募してくれたのでした。

Yさんの選んだ原書は、医療現場を舞台にした短編小説集です。企画書の情報を基に調べてみると、原書は増補改訂版で、旧版の翻訳書が30年ほど前に出ていました。刊行されたのが昔でもロングセラーで読み継がれている場合や、逆に刊行からあまり年数が経っていない場合、旧版を手がけた翻訳家に話が行くことが多く、Yさんが翻訳を手がけられる可能性は低くなります。けれども今回のケースではいずれにも該当しないため、問題になることはないでしょう。

日本で翻訳書が出ていたこと自体はアピール材料になりますので、Yさんには企画書にその情報を追加するようにお伝えするとともに、増補改訂版を発売してまで原書が長年読み継がれている理由を考えていただくようにお願いしました。Amazonのレビューを読み込むことで、本書がどうして熱心に読まれているのか、どんな読者にどのように読まれているかがわかります。こうして得られた情報が背後にあると、本書の魅力を伝える際の言葉にも厚みが出てきます。

企画書の中でYさんが監修者として名前を挙げていたのは、医師の方々でした。医療関係者向けの本ならそれでいいのですが、あくまでも小説として一般向けに出すのであれば、むしろ著名な著述家のほうが訴求力があることをお伝えしました。

企画書へのフィードバックをもとに、YさんとZOOMでお話をさせていただきました。私としては、お話を伺う中でYさんの本書に対する思い入れや翻訳に対する姿勢を確認したいとの気持ちがありました。というのも、本を一冊まるごと翻訳するのは本当に大変なので、「ちょっと翻訳してみようかな」というノリでできることではないからです。

そもそもなぜ医師のYさんが翻訳を手がけたいのか不思議に思い、お尋ねしてみました。Yさんは医師としてアメリカ人と接する機会が頻繁にあり、文化の違いを感じることがいろいろとあったそうです。翻訳を通してそういう違いを理解していきたいと考えるようになったのでした。また、原書の中で描かれている医療の現場が、ご自分の経験に照らして「その通りだな」と思うことがある一方、「実際にとてもこうはできない、こうありたい」と思うことも含んでいたそうです。

医師の中には小説や俳句などの表現活動に携わる方もいらっしゃいます。人の生と死に直接向き合うことも多いお仕事柄、どうしても澱のように溜まってしまうものがあるのでしょうし、それを表現活動によって昇華しているのだと思います(余談ですが、細谷亮太医師の『生きるために、一句』にはとても胸に迫る俳句が収録されています)。そういう意味でも翻訳という表現をすることはYさんにとって意義のあることでしょう。翻訳をすることは著者の精神性を自分の中に取り込むことでもあります。Yさんが憧れるような医療を体現している著者の文章を翻訳することは、Yさんが今後長く医師としてお仕事を続けていくうえでのセルフケアとしても有効なのではないかと思いました。