本日のハイキャリアインタビューは北京在住の中国語翻訳者の金美蘭(きんめいらん)さんです。金さんは現在語虹舎(北京)諮詢有限公司で経営からコーディネーター、翻訳者、チェッカーとしてマルチに活躍されています。語虹舎の経営権を譲渡してもらいテンナインが経営に携わっていた時期もありましたが、現在は金さんを始め北京在住のスタッフが経営しています。今も変わらずパートナーの関係で、テンナインの北京語の仕事をお願いしております。今日は北京現地とオンラインで繋いで、金さんにお話をお聞きします。
工藤:金さん今日はよろしくお願いします。北京は寒いですか?
金:よろしくお願いいたします。毎日とても寒いです。
工藤:早速ですが、金さんは中国の東北地方のご出身ですよね?
金:吉林省というところで生まれ育ちました。東北地方で北京から高速鉄道で8時間ぐらい離れたところです。
工藤:まず金さんと日本語の出会いをお聞かせください。
金:日本語は中学校から習っていましたが、決定的な縁は90年代中国のテレビでやっていた「標準日本語」という番組がきっかけでした。番組の中に出てくる日本は、物質的に豊かで、きれいに整っていて、人間の尊厳が尊重されていました。
工藤:人間の尊厳が尊重されているとは、どういう意味でしょうか?
金:そうですね、それまで私が住んでいた世界とは別格の世界のように見えました。その番組では、日本人は子供の人格を尊重して、子供と話をする時もしっかり向き合って話を聞いていました。子供の意見にも耳を傾け、尊重していました。私が当時育った環境はそうではありませんでした。親のいうことは正しい、子供は親のいうことを聞かなければならないという環境で育ったのでそれが当たり前の世界でした。だからこそ、私の目には新鮮に映りました。
工藤:言葉を通して中国と日本の文化の違いを感じられたんですね。
金:そうです。私は中学から高校までの6年間、日本語を勉強していました。ただこの番組の中で話されている日本語は、響きがとてもやさしく、聞いているだけで癒されました。授業の中で変なアクセントで読んでいた日本語とはまったく別の言葉のようで、その衝撃が大きかったことを今でもはっきり覚えています。
工藤:それで大学は日本語科を専攻されたんですね。
金:その時日本語の素晴らしさに触れ、大学は日本語を専攻しようと心に決めていました。受験では日本語科を設置している大学ばかり候補にいれて、それ以外の大学はどんなにいい大学でも考慮しなかったです。そして天津にある南開大学の日本語科に進学しました。
工藤:通訳という職業に出会われたのも大学生の時だったのでしょうか?
金:はい。南開大学は日本との交流も深く校内に裏千家のお茶室があったのですが、一度裏千家の代表方の公演があったんです。その時日本から会議通訳の方も同行されており、隣で通訳をされていたんです。本当に格好いいと思いました。
工藤:大学では将来翻訳者の道に進むきっかけとなる、ある方との出会いもあったんですよね?私もよくご存じの方です。
金:はい、大学でお茶を教えていただいた裏千家の先生です。クラスで今度のお茶の先生はとても厳しいと噂が広まって、実際にとても厳しい先生でした(笑)。それが成川先生との最初の出会いでした。
工藤:成川先生は当時語虹舎を経営されていましたが、最初はお茶の先生として出会われたんですね。
金:不思議なご縁だと思っています。成川先生とは大学卒業後も時々お会いしていたのですが、当時はあくまでもお茶の先生と生徒という関係でした。ただ大学を卒業しても日本語を使う仕事に携わりたいと思っていました。そこで最初に天津にある全日空に就職しました。そこでは発券したり窓口に立ったり、主に支店業務をやっていました。ただ私の中で通訳業務をやりたいという気持ちが日々大きくなり、3年間務めた全日空を退職し、富士星光有限公司(富士フィルムと中国印刷集団による合弁会社)に総経理通訳兼秘書として転職しました。当時はまだ本格的に通訳トレーニングは受けていなかったのですが、業務を通して勉強しました。そちらで数年通訳者として経験を積んだ後、語虹舎に転職しました。成川先生から「語虹舎で本格的に通訳者として勉強しながら働いてみないか」と誘っていただいたのがきっかけでした。
工藤:通訳者としての勉強は厳しかったですか?
金:成川先生はとても厳しかったのですが、今では感謝しています。本格的に通訳学校も通いました。仕事では日本語を使い、昼休みには成川先生と日本語の本を音読してアクセントを直していただいたり、シャドーイングもしました。また駆け出しでも行ける通訳現場に通訳者として出向いたこともありました。少し難しい技術的な話でも相手に伝わった時はとても嬉しくてやりがいを感じました。
工藤:どうして通訳者から翻訳者に転身されたのでしょうか?
金:通訳の仕事にやりがいを感じていたのすが、性格的に大勢の人前で通訳をすると緊張であがってしまい、いいパフォーマンスが出せませんでした。成川先生にも「あなたはこんなにいい翻訳が出来るのだから、翻訳者の方が向いているかもしれない」と言われ、本格的に翻訳者の道を進むことにしました。
工藤:翻訳の仕事はどうでしたか?
金:通訳者からみたら、翻訳の仕事が大変だとか、じっと原稿に向き合っているのはつらいなどという意見があるかもしれませんが、私は翻訳の仕事が大好きです。じっくり考え抜いて、もっとも相応しい表現をみつけたときの喜びというのは、この仕事を続けていく中で大きな支えになっています。そして翻訳の仕事を通じて、いろいろな業界や社会の仕組みについて関心をもつようになり、読書が今まで以上に好きになりました。
工藤:どんな本をお読みですか?
金:例えば、最近読んだ本の中に「人生海海」という中国の小説がありますが、本の中にロマン・ロランの「この世には,ただ一つの英雄精神しかない。それはこの世をあるがままに見て、そしてそれを愛することである」という言葉が出てきます。この本をきっかけに、ロマン・ロランの作品を読んでみようと思うようになり、終に『ジャン・クリストフ』全編を読み終えました。以前は敬遠していた長編作品を読むようになったのは、翻訳のおかげだと思います。。
工藤:日本語以外に英語も勉強されていますね。
金:英語の勉強を再開したのも、翻訳のおかげです。私にとって第一外国語は日本語で、英語は大学の時に第二外国語として習ったのですが、日本語に比べると英語はあまりしゃべれませんでした。しかし、翻訳をしていく中では、英語はとても重要です。子供が英語の課外勉強を始めると同時に、私も英語のレッスンをはじめました。
工藤:金さんは日本に出張にいらした際も毎日英語の勉強をされていましたね?
金:ええ、当時はアプリで勉強していて、そのアプリは半年間勉強を続けて、半年後にあるノルマを達成すると費用が戻ってくる仕組みになっていました。真面目に勉強する者にはただで勉強するチャンスを与えるという設定でした。そういう設定のおかげで、かなりのめり込んでしまい、結局全部で6回ぐらい学費が戻ってきたのですが、家族に言わせると、ママみたいな会員ばかりだとアプリの会社潰れるんじゃないかと(笑)。でもおかげ様で今は和文原稿の中に英語が出てきても自信をもってあたるようになりました。
工藤:翻訳はパソコンに向かって集中する作業かと思いますが、どのようにリフレッシュしていますか?
金:私は週に3,4回はジョギングしています。短納期や難易度の高い翻訳案件は特にプレッシャーが高くなり、作業効率が下がったり肩こりに見舞われます。しかしジョギングをはじめてから、これらの問題が相当改善されるようになりました。走りながら落ち込むことはできないので、気持ちも前向きになれます。何度かマラソン大会にも挑戦しました。
工藤:金さんは語虹舎では経営、コーディネーター、翻訳者、チェッカーとしてマルチに活躍されていますが、私生活では2児のママですよね?中国では一人っ子政策の中、2人目のお子さんを産むと決心されました。大変ではなかったですか?
金:はい、当時はまだ一人っ子政策の真っ只中で(今は三人まで生むことが奨励されていますが)下の子は香港に渡って産みました。妊娠中に何度か検査で香港に行ったのですが、妊娠9ヶ月を過ぎた時、仕事中に何となく違和感があって、翌日夫と二人で香港に渡りました。そしたらその日の夜に生まれたんです。
工藤:お腹の子が知らせてくれたんですね。出産後すぐに復帰されていますよね?育児と仕事の両立はどうされたのでしょうか?
金:一ヶ月だけお休みをいただき、その後フルタイムで仕事に復帰しました。中国では子供は家族で育てるという文化があるので、同居している両親にも大いに助けてもらっています。育児の中で、いろいろな壁にぶつかりながら、勉強させられることが多いですが、最近つくづく思うのは、子供に自分の考えを押し付けるのはよくないということです。親としてよく口癖のように「子供のために」と言いますが、よく考えてみると、多くの場合、それは子供のためではなく自分の願望だったりすることが多いのです。そして、こういった「痛みを伴う悟り」が仕事の上でも糧(他人に対する理解だったり、敬意だったり)になっているような気がします。
工藤:金さんとお会いしたのは、ちょうど第2子を出産された直後でしたね。私が語虹舎を譲渡してもらうと決まった時でした。私はお会いした瞬間に直感でこの人は信頼できる、仕事を任せられると思いました。仕事柄いろんな人にお会いしているので、よく分かるんです。ただ金さんの方には少し壁があったように思います。
金:はい、少し警戒していました(笑)。長テーブルに座ってお話しましたよね?工藤社長は成川先生とは全然違うタイプで、最初は戸惑いましたが、少しずつ打ち解けていきました。
工藤:私も実は最初はプレッシャーでした。会計方法も日本と全然違うし、わからないことだらけでした。最初中国系ホテルに宿泊していたのですが、バスタブがなかったのも辛かったです。実は北京出張の後日本に戻ってきた時は必ず熱を出していました。金さんのご自宅で餃子パーティーに招いていただいた時に信頼されているなと思いました(笑)。今は金さんが経営に携われていますが、今までとの違いはありますか?
金:仕事はあまり変わりませんが、息長くもずっと続く会社でありたいと思います。また以前よりクライアントや登録者に会う機会が増えました。
工藤:改めて翻訳という仕事のやりがいを教えてください。
金:日本語の意味に一番しっくりする中国語を見つけた時には達成感があります。私にとって翻訳作業は、受け身的な機械作業から、少しずつ言葉を紡ぎだす自由を手にいれる過程だったように思います。
工藤:自由を手に入れる過程とは本当にいい言葉ですね。最近は優秀な機械翻訳システムも出てきて、人手翻訳をお願いしても機械翻訳にかけた訳文を少し手直して提出してくる人もいます。楽かもしれませんが機械翻訳のようなアウトプットをしていては、最後は翻訳者が機械翻訳に負けてしまいますね。
金:これから翻訳者を目指している人は、いろんな本を読んでその言葉の能力を伸ばすことだと思います。いろんなことに興味を持ってください。私はこの仕事をしていなかったら多分、そんなに深く考えたりしなかったと思います。例えばある業界のことを調べていて、いろんな仕組みを知ることができ、結果的自分が生きていく中ですごい力になっています。
工藤:今日は長い時間ありがとうございました。金さんとは何度か北京や日本、軽井沢でも一緒にジョギングしましたね。今では懐かしい思い出です。私が北京出張の際は美味しいレストランにもたくさん行きましたね。仕事が終わって一緒に淡水パールのお店に行ったり、しゃぶしゃぶを食べたのも今ではいい思い出です。兵馬俑を観光しようと約束して、コロナで行けていないのが心残りです。いつか自由に北京に行けるようになったら、是非一緒に旅行しましょう。
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