「繊細さ」が主人公の「親しみやすさ」に活かされた

 それらの役にあった横浜流星の魅力は「繊細さ」とも言い換えられる。それは、破天荒で男臭さもあった原作の『嘘喰い』の主人公の斑目貘とは、はっきり言って正反対の印象でもある。実際にその要素はやや後退しているので、原作ファンからの賛否はあるかもしれない。

 だが、原作の斑目貘の「親しみやすさ」が、横浜流星というその人が演じてこそ、濃いめに抽出されたような魅力は見逃すことはできない。気兼ねなく話しているときも、命懸けのギャンブルに挑むときでさえも、彼のことを「気が置けない親友」としてみられるような魅力が、今回の横浜流星にはあったのだ。

 それは、今回の映画で再構築された物語にも大きく絡んでいる。何しろ、今回の斑目貘は冒頭で大きな「負け」を経験することになる。このエピソードは原作では少し話が進んでから提示されていたものだが、映画では初めにこの事実を提示しておくことで、良い意味での主人公の「どん底から這い上がっていく」物語の強みを増している。若々しい印象も、その苦境を跳ね返すための良い意味での「虚勢」につながっているようにも思えるため、さらに母性本能がくすぐられるのだ。

自身のパーソナリティーの認識

横浜流星の魅力は“繊細さ“にある!映画『嘘喰い』『新聞記者』etcから読み解く
(画像=『女子SPA!』より引用)

どん底から這い上がる物語の印象と、横浜流星ならではの「繊細さ」が組み合わさることで、掛け値なしに主人公を「がんばれ!」と応援したくなる。その「健気さ」とも言い換えられる魅力を新たに備えた、実写映画ならではの斑目貘のキャラクター造形を、心から賞賛したいのだ。

 なお、横浜流星は公式サイトのコメントにおいて「(絶対的な自信がある斑目貘という男は)華があり周りを巻き込み引き込む力があるとても魅力的な人間。何もかも僕とかけ離れていますが、まずは自信を持って、そこに隠れる狂気や野心をバランスよく、でもエモーショナルに出来たらと思い、貘として嘘喰いの世界を生きました」と語っている。

 自身のパーソナリティーとの違いを(客観的には謙遜しすぎでは?と思うほどに)認識しながらも、自信を持とうとした俳優としての姿勢。それが苦境に陥るも、やがて自信に満ちたギャンブラーとして成長していく劇中の役とシンクロしているようにも思えることも、とても嬉しい。