今回の連載では、出版翻訳家の三辺律子さんからお話を伺います。三辺さんは『龍のすむ家』『ダリウスは今日も生きづらい』『エヴリデイ』『月のケーキ』『最後のドラゴン』『オリシャ戦記 血と骨の子』『ぼくが死んだ日』など児童文学やYA、絵本を中心に多数の作品を翻訳されています。また、海外文学ブックガイド「BOOKMARK」の編集人もされています。翻訳家としてデビューされた経緯や、企画の持ち込みについて、スラングや今の時代の言葉をどう扱うかなど、お話を伺いました。

第150回 出版翻訳家インタビュー~三辺律子さん 前編
写真 鈴木俊介
(画像=『HiCareer』より引用)

寺田:本日はよろしくお願いいたします。以前に翻訳家の都甲幸治さんとのトークショーをオンラインで拝見していて、三辺さんのキャラクターが印象的だったんです。天然と言っては失礼ですが、すごい実績をお持ちなのに、まったく自覚がなくて面白いな、と。「何が何でも翻訳家になる!」と邁進してきたのではなく、ふわふわと漂いついたかのような印象を受けました。どういう経緯でデビューすることになったのか、まずは教えてください。

三辺(以下敬称略):翻訳家としての来歴をお話しするのが恥ずかしいくらい、やる気のない学生でした。理数系が好きだったのに、文系しかない大学にエスカレーター式で進んだので、特にやりたいこともなく、「英語っぽいほうがいいかな」くらいの理由で英文学科を選びました。卒論は英語でしたし、4年間で英語の本が読めるようになり、3カ月間の語学留学もしましたが、就職したのは銀行だったんです。

寺田:銀行というのは、意外ですね。

三辺:当時は自分に合っていると思っていたんです。「私はまじめだから、銀行が合っているはずだ!」と思って就職したんですが、1円でも計算が合わないと帰れないような業界は全然合っていなくて……。また、女性だと面接の際に結婚予定を尋ねられたり、10年勤務しても仕事内容が新人と変わらないのを見たりすると、女性が働き続けることへの理解がないように感じて2年ほどで退職しました。母校の大学で研究室の助手として働くようになり、児童文学者で翻訳家の猪熊葉子先生の授業を聴講しました。それがすごく面白くて、子どもの頃から外国の本が好きだったことを思い出し、急に真剣に勉強したくなったんです。そこで猪熊先生にご相談したところ、大学院での勉強を勧められました。当時、白百合女子大学大学院に児童文化学科ができて間もないころだったんです。入学後は、大学院で「何をしたいですか?」と訊かれたときに「翻訳をやりたい」と言うようにしました。実力もないのに図々しいとは思ったんですが、言わなければわからないんですよね。これは今自分が教える立場になって学生に対して言うんですけれども、学生は自分が何をやりたいか、言えないことが多いんです。だけど「言わなきゃわからないよ」って。

寺田:自分がしたいことをはっきり口にするのは大事ですよね。言ってもらえれば、まわりもそれをサポートしたいという思いを持ってくれているものですし、力を貸せるので。それで、大学院で翻訳を始められたんですか。

三辺:大学院では『かいじゅうたちのいるところ』などを手がけられた翻訳家の神宮輝夫先生の翻訳の授業を受講していたんですが、どんどん学部生が脱落していって、2人しか残らなかったんです。ほぼマンツーマンなので、休むにも休めない感じでしたが、すごく勉強になりました。卒業後、先生の研究室に行ったらちょうど編集者が来ていて、「何か面白い本はありませんか」と訊いているところでした。先生が「ジャン・マークがいいよ」と言って私に話を振ってくれたので、「すごく面白いですよ!」と魅力を語ったら、先生が、「じゃあ、翻訳する?」と言ってくれたんです。すごくびっくりしましたが、「やります」とお答えしました。それがデビュー作の『こわいものなんて何もない』です。

寺田:そうだったんですね。そういう良い流れに自然に乗っていくのは大切だと思います。

三辺:実は、以前に似たようなお話をいただいたことがあったんですが、そのときは自分にはできないと思ってお断りしてしまったんです。だけど後から振り返って考えてみたら、せっかく私のためにチャンスをつくってくださったのに、それを断るなんてものすごく失礼なことだったなあ、と……。その反省があったので、自分の実力に不安はありながらも、このときは「やります」と言えたんだと思います。

寺田:きちんと実力がある方や、まじめな方ほど、自己評価が低くて「自分には無理」と思って断ってしまうものですし、もったいないと思うんです。お話をいただけるということは、「この人だったら大丈夫」と見込んでもらえているわけですから、受けたほうがいいんですよね。その最初のお仕事の後も、次々にお仕事が続いたんでしょうか。

三辺:そうですね。その点では、私はラッキーだったと思っています。というのも、その後ファンタジーブームが来て、活躍中の翻訳家の方々はお忙しくて手が回らない、だけど出版社としては翻訳してもらって本を出したい、ということで私に仕事が回ってきたんです。それには、編集者と先生の会に参加させていただいていたことが関係しています。そこでどんな本が好きか訊かれたときに、「ファンタジー」と答えていたんです。その当時は流行っていなかったので、相手も「ふーん」という感じだったんですが、それから2、3年してブームになったら「訳しませんか」と話が来たんです。ちゃんと覚えているなんて、編集者ってすごいなと思いました。よく日本では「何でもやります!」という態度が大事だとされますが、何でもやりますと言われても、編集者としては頼めないですよね。やっぱり好きなものや得意なものがある人に頼むので、何が好きかを伝えておくのは大事ですね。

寺田:先ほどのお話にも通じますが、口にして伝えて、知っていただくことはすごく大事ですよね。三辺さんはたくさんの作品を手がけられていますが、依頼されたお仕事はすべて受けていらっしゃるんですか。

三辺:時期的に無理な場合はあります。たとえば「あと3ヶ月でお願いします」と言われても、それはできないですし……。でも、作品を読んでみて、自分の好きな作品ならば、スケジュールが理由でなければ、お断りしたことはないと思います。それに、たいてい、私を知っている編集者が好きそうなものを依頼してくれるので、読んでみて「これはダメだ」と思ったことはないですね。好きではないものは、絶対に断ると思うんです。うまくできないですし、その作品の魅力をそいでしまうというか、そもそも魅力に気づけないでしょうから。やらないほうがお互いにとって幸せなんです。

寺田:ご自身から企画を持ち込むこともありますか。持ち込みのお仕事と請負のお仕事の比率はどれくらいでしょう?

三辺:半々くらいでしょうか。持ち込みのほうが少し多いかと思います。仕事をしているうちに編集者とお互いに気が合って、しゃべる機会も多くなります。面白い本を見つけると「すごく面白いのがあるよ」と話をして、編集者に「だったらレジュメを見せてください」と言われる場合もありますし、逆に編集者から「ミステリを出したいんですよ」と言われて「だったらこんな作品があって……」という場合もあります。好きだったら、自然とやりたいものが来るようになりますよね。「とにかく翻訳をやりたい」と言うのではなくて、自分が好きなものをやっていくことが大事だと思います。

寺田:そうですね。それが王道というか、ちゃんとたどり着くべきところにたどり着ける道なのかなと思います。お話を伺っていると、雑談の中から自然とお仕事につながっていく感じなんですね。三辺さんの場合、持ち込み企画も通ることが多いでしょうが……。

三辺:ほとんど通らないですよ。

寺田:えっ、通らないんですか!? それは衝撃です。だって、そのジャンルでの目利きなわけですよね? だったら三辺さんが選んだ時点で、ほぼ通ったようなものかと思うんですが。

三辺:いいえ。長すぎるとか、日本では受け容れられないとか、編集者は気に入ってくれたけれども会議を通らなかったとか。タイミングもありますよね、出版社によって求めているものも違いますし。

寺田:そうなんですね。だったら私の持ち込み企画が通らないのは無理もないと、がっくりきたような、逆に励まされたような……(笑)。持ち込み企画を通すために工夫されていることって、ありますか。

三辺:レジュメ(シノプシス)をしっかりとつくることだと思います。ストーリーの面白さもありますが、面白さって、細部に宿るものですよね。そこをうまく伝えていくのが難しいところですが、それをやっていかないといけないと思います。と偉そうなことを言いつつ、きちんとやると、どうしても2、3日かかってしまうので後回しにしがちですけど。

寺田:その部分は編集者任せにしないんですか? 口頭で伝えて、つくりこむ部分はお任せするとか。

三辺:その作品の良さをいちばんわかっているのは自分なので、それをきちんと伝えることが大切だと思います。だから、しっかりつくらなきゃと思っています。どうしても締切のある仕事を先にやらなくてはと思ってしまうんですが、レジュメをつくること自体も本来の仕事なわけですし、後回しにしちゃだめですよね。これは、自戒を込めて。

寺田:その言葉を胸に刻みます……。ところで、以前に大森望さんにインタビューをさせていただいた際、ネットスラングの「あーね」を使ったというお話がありました。絵本なら、大人として子どもに使ってほしい言葉を用いるという判断でいいと思うんです。児童文学もそちらの方向に近いかもしれませんが、YAの場合、親しみを持ってもらうために読者に歩み寄っていく部分と、文学として言葉を守っていく部分のせめぎあいがあるのではと思いました。たとえば、『タフィー』の冒頭で「というか」という言葉が使われていますが、これを「ていうか」「てか」と訳してしまうような歩み寄り方は「あり」なんでしょうか。

三辺:『サイモンvs人類平等化計画』では「ていうか」を使った記憶があります。このときは高校生の子に訳文を読んでもらって、「いいんじゃね?」と言ってもらいました(笑)。作品によって、もともとの文章にスラングが多ければそれなりに砕けた言葉は使いますね。自然に落ち着くべきところに落ち着く感じかと思います。

寺田:『タフィー』や『月のケーキ』では「ベビーカー」ではなく「乳母車」を使っていらっしゃいます。作品の世界観に合わせての選択になるのでしょうが、読者の日常生活や理解力、時代の変化に対応していく際のご自身の中での基準のようなものがあれば伺いたいです。

三辺:「コクる」とかも、出てきた頃はそんなに長く使われる言葉にはならないだろうと思っていましたが、それから10年以上経った今でも使われていますよね。でも来年になって急に使われなくなるかもしれないですし……。自分の中で使わない言葉だと、どうしても訳文から浮いてしまうんです。だから使わないようにしていますね。朝井リョウさんの作品を読んで、「うまいなあ」と思ったこともあります。若者が話してるって伝わってくるけれど、でももちろん、話し言葉をそのまま書いているわけではなくて、小説の言葉になっていて。日本の若い作家の作品を読むこともそういう意味で大事だと思います。だからといって、それをそのまま真似するというわけではないですが。読んでいるうちに何となく自分も使うようになっていたら使うくらいでしょうか。

寺田:言葉を通しての現代との関わり方という点で、朝井リョウさんのセンスには学ぶところが多いですよね。技術もある方ですし。翻訳家の中には「翻訳ものは原文のことを考えてしまって気になるから読まないけれど、日本の作家の書いたものは勉強のために読む」という方もいらっしゃいます。ただ日本の作家のものを読むというだけでなく、世代的なことをもっと意識して読んでみるのもいいのかもしれませんね。ところで『タフィー』では、登場人物のマーラの一人称を「あたし」にしていました。主人公のアリソン(タフィー)の「わたし」との対比もあったと思いますが、そういう必要性がない場合でも「あたし」に設定されることはあるのでしょうか。どのようなキャラクターの場合に「あたし」を選択していらっしゃいますか。

三辺:読んだときのイメージで決めています。私の場合はどちらかと言うと感覚的なもので、あまり戦略的ではないんですよ。翻訳家の中には、「このキャラクターはのび太みたいなタイプ」などと細かくキャラ設定をする方もいるんですが。

寺田:そうなんですか。作家の場合はそうしてキャラ設定をする方が多いですが、翻訳家ではあまりいないように思っていました。訳しやすそうな反面、原作とは少し違ったイメージを読者に手渡してしまいそうな気もします。

『タフィー』は詩の形式で書かれた作品で、読み進めながらジグソーパズルのピースを拾っていくように物語の全体像が見えてくる面白さがありました。本をあまり読まない読者にもアプローチしやすい形式なのかも、とひとつの可能性を感じます。このような詩の形式の作品が台頭してきているそうですが、もしかして短歌を学んでおられるのも、こういう作品に対応しようというお考えがあったのでしょうか。短歌を学んだことで新しく得られた視点や翻訳に影響していることがあれば伺いたいです。

三辺:短歌を始めたのはこの作品を手がけるよりずっと前で、10年以上前から勉強しているんです。東直子さんと穂村弘さんの『回転ドアは、順番に』という作品を読んで面白かったのがきっかけでした。作品に活かせているかどうかはわかりませんが、メンバーとの短歌以外での交流も含め、すごく楽しいです!

寺田:(本当に楽しくて仕方ないご様子を拝見しながら)楽しそうです(笑)。

後編では、翻訳作品と読者をつなぐBOOKMARKのご活動や、監修のお仕事、今後発売予定の作品について伺います。どうぞお楽しみに!

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