オスマン帝国時代、皇帝(スルタン)や皇女、皇帝の妃、大宰相たちは、自らの権力を示すためにモスクを造りました。オスマン帝国時代の帝都イスタンブールに残る、とりわけモスク建築が盛んであった16世紀のモスクをご紹介します。
【1】ヤヴズ・スルタン・セリム・モスク
オスマン帝国の勢力が最大になったといわれるのはスレイマン大帝の時代といわれますが、それはスレイマン大帝の父であるセリム1世の功績に負うところが多いということは、あまり知られていません。
セリム1世は、マムルーク朝を滅ぼしてカイロを掌握したり、アッバース朝を滅ぼして聖地メッカとメディナをオスマン帝国の保護下に置くなど、ヤヴズ、つまり「卓越した者」という異名を持っていました。彼のモスクは飾り気のない凛とした内装になっており、それはまるで彼の性格を表しているかのようです。
【2】ハセキ・スルタン・モスク
スレイマン大帝の妃ヒュッレムは、慈善事業の一環として宮廷建築家ミマール・スィナンにキュッリエという複合施設を造らせました。彼女のモスクはこの複合施設の中に含まれています。
ミマール・スィナンはのちにトルコ史上最高の建築家と評されますが、ハセキ・スルタン・モスクを含む複合施設の設計は、宮廷建築のトップの座を任されたスィナンによる最初の国家プロジェクトでした。ハセキとはスルタンの子を産んだハレムの女性に与えられる称号で、ヒュッレム妃のことを指しています。
【3】シェフザーデ・モスク
宮廷建築家のスィナンは、スレイマン大帝とヒュッレム妃の息子で、若くして亡くなってしまったメフメト皇子のためにシェフザーデ(皇子)・モスクの設計も任せられました。
このモスクはスィナンがまだ徒弟時代だった頃に設計・建設されたものですが、その完成度の高さにスィナンの才能を感じずにはいられません。敷地内にはメフメト皇子の霊廟のほか、彼の姉ミフリマー妃の婿であるリュステム・パシャの霊廟もあります。
【4】ミフリマー・スルタン・モスク
スレイマン大帝とヒュッレム妃との間に生まれた皇女ミフリマーは、帝都に2基もモスクを造らせました。1548年に完成したユスキュダルにあるモスクも、1570年に完成したエディルネカプにあるモスクも、ミマール・スィナンが手掛けたことで知られています。
彼女の2基のモスクを他のモスクと比べてみると、とても女性的で、かつ皇女としての力強さをも感じさせる内装になっていることが一目で分かります。デザインによってモスクの主を表現するスィナンの才能が、ここでも大いに発揮されています。