シーズン2は、リモワとピエール・カドーのコラボ、リーキ(ポロネギ)販売促進会、シャンペア等、シーズン1よりクライアントの数が激減した事も明らかです。昔、広告代理店のドラマを制作したプロデューサーが、毎回広告キャンペーンのキャッチフレーズやコンセプトを考えなければならず、通常の4~5倍手間隙がかかるので、二度と広告代理店が舞台のドラマは書きたくない!と告白したことを思い出しました。

更に、エミリーの三角関係に端を発した公私混同が原因で、シャンペアのキャンペーンを持ち込んだカミーユ(カミーユ・ラザ)は勿論のこと、エミリーと関係ができてしまったガブリエル(リュカ・ブラボー)までが、新レストランの出資者/シルヴィーの愛人アントワーヌ(ウィリアム・アバディ)の仕事だと言って、開店キャンペーンをサヴォア(=当然、エミリーにお鉢が回って来る訳ですが)に依頼する等、四六時中顔を突き合わせる事になり、人間関係が超複雑化!尤も、ミレニアル世代は、プライバシーを曝け出すことに慣れており、職場とプライベートの間に境界線を敷かないので、当然の成り行きかもしれません。プライバシーを死守してきたデジタル・イミグラントは、公私を曝け出さずにはいられないミレニアルを見ると、そんなきりきり舞いをいつまで続けるの?とかわいそうになってしまいます。

「エミリー、パリへ行く2」世界同時配信は来たる12月22日!字幕と三角関係故の公私混同が現実逃避の邪魔に シーズン1ほど、手放しで楽しめない
(画像=故郷ノルマンディーでレストランをオープンする筈だったガブリエル(リュカ・ブラボー)と、勢いに任せて一夜を共にしたエミリー。出資者アントワーヌの登場で、パリに居残ることになってしまい、エミリーは罪の意識から、ガブリエルとカミーユのヨリを戻そうと躍起になる。(c)Stéphanie Branchu/Netflix、tvgrooveより引用 )

シーズン1は、アメリカ人のフランス人や文化に対する時代遅れの固定観念が物議を醸し出しました。スターは、「ドキュメンタリーではない」「僕の見たパリ、僕の好きなパリを描いただけ」「最初からフランス語を流暢に喋り、仏文化にも通じている米中西部出身のエミリーなんて、ドラマにならない!」と大きなお世話と言わんばかりの言い訳をしました。元々、米国のケーブル局で放送する予定だったものが、急遽全世界同時配信に切り替わったと言う裏事情もあって、あそこまでバッシングされるとは、予想だにしなかったに違いありません。現在も、「そんなに目くじらを立てるほどの事ではない。たかが、ロマコメ!されど、ロマコメ!」と全く問題外のような口振りです。しかし、シーズン2は、この麗しき「醜いアメリカ人」叩きを交わそうと、1)エミリーの仏語教室での時間を増やし、片言ながらフランス語を其処此処に挿入、2)フランス嫌いの英国人アルフィー(ルシアン・ラヴィスカウント)の口を借りて、「見掛け倒しのパリ」を徹底的にバッシングさせ、3)フランス人から見たアメリカ文化バッシング(例:ロマンスを商品化する、手軽で効き目抜群大好き、減量命、カーダシアンやグープ崇拝など)も書き込まれています。