田中圭が演じてこその「着飾らない」誠実さ
田中圭が今回のこの父親役にハマるのは、とても良い意味で「ダサく見える」ことにもある。いつも大きめのメガネをかけていて、それは田中圭自身が衣装合わせのときに「できるだけギラギラしないものがいい」と選んだものだったりする。 仕事以外のときに着ている服もどこか「おじさん」な印象があって野暮ったいのだが、その「着飾らなさ」が裏表のない誠実な役とマッチしていてなんとも愛おしい。 ときには複雑な内面を抱える役を演じる田中圭が、今回はただただ「娘の愛情一筋(その他のことはちょっとダメ)な役」にもハマりまくっていることが嬉しい。もちろんメガネや衣装という見た目だけでなく、あたたかい眼差しや微妙な表情の変化などの演技力があってこそ、この上なく優しい人柄を体現しているのもたまらない。
原作ファンも納得のキャスティング
この田中圭が演じてこその父親像は、物語そのものとも不可分とも言える。それは原作小説の書き出しが「困った、全然不幸ではないのだ。」であることからもわかるとおり、基本的には「幸福であること」を描いている作品であるからだ。 永野芽郁演じる主人公はこれまでに4回も苗字が変わった過去があるけれど、まったく不幸ではないということが、その義理の父役の田中圭というその人の魅力もあって、ストレートに伝わるのである。 ちなみに永野芽郁は原作小説を読み込んでおり、「この役は絶対に自分が演じたい!」という熱い想いを実現させていた。そんな彼女が「(田中圭との)撮影初日の現場に行ったら、すでに森宮さんだった!」と言うほどに「お墨付き」だったと言う。原作ファンも納得するキャスティングとしても完璧だろう。 また、劇中で出てくる料理がどれも美味しそうというのも注目ポイント。実際はフードコーディネーターが見た目が良く栄養もしっかり考えて用意したレシピの数々を、劇中では田中圭が作ってくれているという桃源郷が目の前に広がっているのだ。それらを実際には食べられないし、どれだけ懇願しようが田中圭が父親にはなってくれないのが、数少ない本作の欠点だ。