四国八十八箇所にある、弘法大師ゆかりのお寺をめぐるお遍路。徳島県に続く高知県は「修行の道場」と呼ばれています。札所の数は最も少ないものの、寺と寺との距離が長距離に及ぶ場所が多く、第37番と第38番の間は札所間最長の約90㎞!!そのような長い距離を移動しなければならないことはまさに、修行。しかし、弘法大師のいう修行とは難航苦行を意味するのではなく、心身ともに仏道を身につけて善行を積むといったことを指します。今回は、長い道のりの中、精神的修練が必要とされる高知の札所16箇所をご紹介します。
第24番 最御崎寺(ほつみさきじ)
高知最初の札所、最御崎寺。徳島最後の23番薬王寺から77㎞の距離にあり、室戸岬に位置しています。弘法大師自らが刻んだとされる虚空蔵菩薩像が本尊。真言密教の道場であり、当時は女人禁制でしたが、明治5年に解禁されています。
最御崎寺のある室戸岬の東側、国道55号線沿いに青年僧だった弘法大師が修行したと言われる洞窟「御厨人窟(みくろど)」があります。この洞窟から見える景色が「空」と「海」のみで、そこから空海という法名を得たと言われています。
第25番 津照寺(しんしょうじ)
地元では「津寺」の愛称で親しまれる、小高い山の上に建つ寺院。本尊の延命地蔵は、別名「楫取(かじとり)地蔵」と呼ばれ、江戸時代、土佐藩主山内一豊が暴風雨にあい遭難しかけた際、僧の姿となって楫を取り、港に導いたという伝説が残っています。
第26番 金剛頂寺(こんごうちょうじ)
土佐湾に突き出した行当岬の高台にあり、弘法大師が刻んだ本尊の薬師如来は、自ら歩いて本堂に鎮座したという言い伝えがあります。
境内にはがん封じの霊木や、大師が人々を飢えから救うために米を炊くと、一万倍にも増えたという伝説が残る釜があります。
第27番 神峯寺(こうのみねじ)
神峯山の中腹、標高約450mに位置しており、寺院までは、「真っ縦の急坂」と呼ばれた急勾配の道。行基が刻んだ十一面観音を本尊とし、その後聖武天皇の勅命により弘法大師が伽藍を整えました。
第28番 大日寺
明治時代の廃仏毀釈で、一度廃寺になったものの明治17年に再興。奥の院には、弘法大師が楠に爪で彫ったと伝えられる「爪彫り薬師」が安置され、目・鼻・口・耳など首から上の病気に御利益があるとされています。
第29番 国分寺
聖武天皇の勅願により建てられた全国にある国分寺の一つ。本尊の千手観世音菩薩像が安置されている本堂は、戦国時代に長宗我部元親によって再建されたもので、重要文化財に指定されています。
第30番 善楽寺
明治時代の廃仏毀釈で一度は廃寺に。その際、現在奥の院となっている安楽寺が30番の札所となりました。
昭和5年に善楽寺が再興し、30番札所が2か所ある時代が続きましたが、平成6年にようやく、善楽寺が30番札所、安楽寺が奥の院となりました。
第31番 竹林寺
聖武天皇の勅願により、行基によって開かれた寺院。文殊菩薩像を本尊とし、古くから学問寺院となり、多くの学僧が集まりました。