“努力”がほめられる日本の象徴かも

 もちろん、どちらが正しいというつもりもありませんが、どこか日本人の演奏には、お稽古ごとの発表会的な、しみったれた雰囲気が漂ってしまうことは否めません。せっかくのストリートピアノが、褒められたい人たちの集会場みたいになってしまっている。抑えきれない承認欲求が、音楽から爽快感を奪ってしまうわけですね。  

思えば、カラオケ全盛期に高いキーや難しい符割の曲を競って歌った国民性です。ストリートピアノも同様の傾向になってしまうのは、致し方ないことなのかもしれませんが…。

うまいかヘタか、が話題になる不幸

 そんな状況からして、ハラミちゃん人気というのは、なかなか複雑な現象なのだと思うのです。彼女に否定的な人たちの意見を見ても、“言うほど上手くない”とか、“ちゃんとピアノをやってきた人からみたら雑”というものが多いからです。つまり、賛否いずれの側も、上手か下手か、正確か不正確かが議論の中心になってしまう。それは、本来なら音楽の本筋ではないはずなのに。