不妊治療中の流産を経験し、「なんでや! なんで内緒にしとかなあかんのや!」とぶちきれた――そんな本音を語るのは、軽やかにおしゃべりするようなエッセイ『おんなのじかん』(新潮社刊)が話題の小説家・吉川トリコさん。
吉川トリコ『おんなのじかん』(新潮社刊)
同書収録のエッセイ「流産あるあるすごく言いたい」は、流産や不妊治療のイメージに一石を投じたとして、多角的な視点のジャーナリズムを評価する「第1回PEPジャーナリズム大賞 2021」でオピニオン部門賞を受賞しています。 今回はそんな珠玉のエッセイを、女子SPA!に出張掲載。私たちが「言ってはいけない」「触れてはいけない」と思い込んでいることのイメージが、読めばがらっと変わるかもしれません。 ※以下、吉川トリコさんのエッセイ『おんなのじかん』(新潮社刊)より「流産あるあるすごく言いたい」の章を抜粋・一部編集したものです。
流産した当日、病室のベッドの上でBLCDのドラマ音源を聞いた
妊娠中、性欲がぱたりとなくなった、という人の話を聞いたことがある。 それまで毎日のように大量摂取していたやおい本にもまったく食指が動かず、長すぎる賢者タイムの果てに、このまま枯れていくのだろうかとあきらめかけていた(それは、やおい者にとっての「死」を意味する)が、出産を終えたとたん不死鳥のようによみがえり、「ください! いますぐやおいをください!」と子育ての合間に貪(むさぼ)り読んだという。 それとは逆に、妊娠中でもひたすらフルスロットルだったというやおい妊婦からの報告もいくつか受けている。
写真はイメージです(以下同じ)
かくいう私はといえば、妊娠中は濡れ場を飛ばして商業BLコミックを読んでいた。やおい者の風上にも置けぬ所業である――というか、濡れ場を飛ばしたらほとんど読むとこなくねえか? みたいな作品も中にはあるのにそれでも読もうとするんだから、むしろやおい者の鑑(かがみ)では? と思わなくもない。 一種のつわりのようなものなんだろうか。やおいにかぎらず性的なシーンを目にすると、吐き気にも似た倦怠(けんたい)感をおぼえて見る気になれなかったのだ。賢者タイムの妊婦のように、まったく欲望が湧かなかったわけではなく、見たいことは見たいのだけど体が受けつけない、というかんじだった。 七週目で流産したその当日、消灯時間を過ぎてからなにもすることがなくて、病室のベッドの上でiTunesに入れておいたBLCDのドラマ音源を聞いた。 昼間さんざん寝たせいで目がぴかぴかに冴えていて、ピカチュウの着ぐるみが何匹か集まって大縄跳びをしたり、イーブイの着ぐるみと競走したりする動画を見てげらげら笑っていたら、あっというまに速度制限を食らい、点滴で体勢を制限されているから思うように本も読めなくて、こんなときこそオーディオブックだ! とひらめいたのだ(オーディオブックではない)。 倦怠感はもうおぼえなかった。かといってすぐさま「ください! いますぐやおいをください!」というテンションになれたかといったらそうでもなく、声優さんたちの熱演ぶりにむらむらするより先に笑ってしまった。イヤフォンから聞こえてくる男二人のあえぎ声と自分が置かれている状況のミスマッチがおかしくて、すかさずTwitterに投稿しようとしたのだが、流産のことを伏せなきゃいけないことに気づいて愉快な気持ちがしゅるしゅるとしぼんでいった。 あとからこの時のことをかかりつけの鍼灸師(ち)さんに話したら、 「いいねそれ! 治りが早くなりそう!」 と実にやおい者らしい率直な感想がかえってきた。
どこからどこまでを公言するかは、その人の自由であるはずだ
安定期(もしくは最低でも妊娠三ヶ月)に入るまでは妊娠したことを周囲に告げてはならない、という不文律がある。 流産の危険性が高いから、というのがその理由のようだが、わかるようでわからない理屈である。むしろ安定期に入るまでのほうがつわりもしんどいし、体を気遣わねばならない時期でもあるのだから、あらかじめ周囲に伝えておいたほうが配慮もしてもらえるんじゃないだろうか――と思ってしまうのは、会社勤めをしたことのない人間の浅知恵だろうか。万が一、流産してしまったときに周囲に気まずい思いをさせたくないという考え方もあるようだけれど、いやいやいやいやそれぐらい背負うよ、背負わせてくれよ、いちばんつらいのはあんただろ、つらいときはおたがいさまやんけ、と浅はかにも思ってしまう。 たしかに流産は悲しいことかもしれない。だけど、家族や友人やペットや推しの死だって悲しいことじゃないか。恋人と別れたり、友人と絶縁したり、欠陥住宅をつかまされたり、コロナウイルスの流行で楽しみにしていたイベントが中止になったり、ほかにも病気や失業や事故や災害や犯罪、生きているかぎり我々には様々な困難が襲いかかる。どこからどこまでを公言するかは、その人の自由であるはずだ。 石を投げればバツイチに当たるというぐらい、まわりは離婚経験者ばかりだというのに、安定期(ってなんだ)が過ぎるまで結婚の報告を控えるなんて話は聞いたことがない。家族や友人やペットや推しの死にいたっては、自分が先に死なないかぎり100%の確率で起こることである。どうして流産の話だけがこんなにも避けられ、隠されなければならないんだろう。