出演ミュージシャンの苦しい胸のうち
さて、開幕前には“オリンピックは不要不急”との批判が高まりましたが、この状況下でのフジロックを、どう捉えるべきなのでしょうか?
スポーツも音楽も好きな筆者ですが、さすがにオリンピックよりフジロックが重要だと言い切るのには抵抗があります。良し悪しはともかくとして、国際的な約束事であるオリンピックと地域限定の催し物であるフジロックでは、比較にすらなり得ません。
また、SIRUP氏の言う、“日本が世界に向けて誇れる最大級の文化のステージ”も、海外アーティストを招いてフルスペックで行われれば、との条件付きなのではないでしょうか。毎年、海外の大物アーティストがヘッドライナーを務めてきたおかげで、フジロックに箔が付いてきたことは否定しがたい事実です。
だとすれば、今年のように邦楽限定のラインナップで、“日本が世界に向けて誇れる最大級の文化のステージ”であると開催の意義を主張することは、逆にフジロックの築いてきた歴史を否定することになりかねません。 いずれにせよ、ミュージシャンたちがどれだけ言葉を尽くそうとも、オリンピックに反対しながらフジロックの開催に理解を求める論理展開は、どう見ても無理筋にしか映らなかったわけです。
有観客でやる必要はあったのか?
そもそも、最も危機的状況にあると言われる現在の日本で、観客を入れて大型イベントを開催する必要があったのでしょうか? 不要不急の極みである音楽鑑賞を、わざわざ危機を助長する形態で強行しなければならないものなのでしょうか?
不要不急と言われると何の価値もないように思われるかもしれませんが、全く逆の意味です。それを聴いたところで、お腹いっぱいになるわけでも口座の残高が増えるわけでも賢い人間になれるわけでもないのですから、もともと音楽なんて何の役にも立たないし、特別有意義なものでもないのです。
それでも、そんな取るに足らないものに、なぜか心が動かされる瞬間がある。そういう理不尽な感動に、音楽の価値があるのではないでしょうか。言うまでもなく、それは大人数が集うフェスでなければ味わえない類のものではありません。