首都ルアンダの中心部
長期に渡った内戦で、破壊された都市部の建物は次々と建て直され、現在は高層ビルの建設ラッシュです。現場のバリケードには中国語が目立ち、一帯一路政策に依存している様子が伺えます。
Assembleia Nacional(政府機関)
こちらはルアンダの政府機関です。こちらに限らず、政府機関の建物はどれもとても立派で、その外観はまるで宮殿のよう。地中資源などを当てて一時的に大きな収入があると、政府系の建物ばかりがとにかく豪華絢爛になるという典型的な国です。しかし、周辺の一般の建物と明らかに見た目が乖離し、「潤う政府と貧しい国民」という構図が一目瞭然です。
Memorial Agostinho Neto(ネト記念公園)
アンゴラ独立戦争を指導し、独立後に初代大統領に就任した「アゴスティニョ・ネト」の記念碑のある広々とした公園です。ネトは、独立戦争に際して当時のアメリカ大統領ケネディはじめ各国にその目的を訴え、キューバのチェ・ゲバラの支援を取り付けるなど尽力し、独立後はカストロ議長と強い親交を保つなど外交力を発揮しました。
Fortress Sao Miguel(サンミゲル要塞)/世界遺産
下の写真のアンゴラ国旗のふもとに位置する要塞は、1576年に建てられたポルトガル植民地時代の要塞です。奴隷貿易の主要な玄関口ともなりました。現在は、戦車や戦闘車両、武器、大砲が展示された軍隊博物館も併設されています。
手前の大きな建物はショッピングモールです。
Museu da Moeda(コイン博物館)
こちらは、街の中心部にあるコイン博物館です。どの国でも、当地通貨の歴史を展示する博物館はありますが、アンゴラのコイン博物館は少し変わっています。
展示されている通貨には、ポルトガル侵入以前に使われていたカタツムリの殻や貝殻、動物の骨、歯、植物の根で作られた塊が見られます。どうやらそれらを交換手段として使用していたようです。のちにコンゴ王国が発足すると、それらは棒状に成形された塩や石、象牙へとグレードアップします。
日本も、古代は物々交換ながら塩や米が用いられていたこともあり、土地特有の通貨は、その国を知る上でも興味深いです。
Igreja do Carmo(カルモ教会)
アンゴラは上述の通りポルトガル領でしたので、それ以前に信仰されていた土着の伝統的宗教からキリスト教へ改宗した(させられた)国民も多くいました。公用語もポルトガル語です。街には、植民地時代に建てられた古い教会が残ります。
ポルトガル領だったアフリカの国はどこも同じく、教会のアズレージョが美しいです。アズレージョとは、ポルトガル文化の典型的なタイルで、スペインのカラフルなタイルと違い、色は青一色のものが多いです。「アズレージョ」はペルシャ語で「青」を意味しています。
イベリア半島(現在のポルトガルやスペイン)は、8世紀前半ごろ北アフリカから侵入してきたアラブ人によって支配されていましたので、その過程でペルシャ語であるこの名が付き、ポルトガル領土へと伝えられたようです。
大西洋沿いの公園
大西洋沿いには整備されたプロムナードがあり、湾に沿って続きます。
新市街の様子とポルトガルの名残
プロムナードの内陸側は、建設されたばかりと思われる瀟洒な建物が並びます。植民地時代を反映しているのか、ポルトガルらしいカラフルなパステルカラーの建物が多いですね。
街中には統治時代の名残を感じるものも。