今回体験させていただいた、柴山犀光(しばやまさいこう)先生について
柴山不言経歴
柴山不言という名前は準行字は公安、また、不言庵、恬静庵、漂麦園にある。 安政4年2月9日に名古屋市大津町に生まれる。 7歳の頃、書法を学び、8歳の頃に読書を学び、11歳に藩校明倫堂に入る。 文学武技を学びながら、原彦四郎に剣道を中山大作に鎗術、その他の武芸を学ぶ。 15歳の頃、清の国の人の、尾張藩主の御学問教師として、職位し官話や詩書を学んだ。 明治7年、文部省管轄師範学校が建てられたあと官費生として学び、知多郡巡回教師となり、また小学校長として教育に従事。 明治13年、仕事を辞め、ハリストス正教を奉じ、16年東京駿河台の伝教学校に入り、 主教ニコライ師のもとハリストス正教を奉じ、大阪・京都・名古屋の諸教会を管轄する。 明治37年~8年、戦役露国俘虜の名古屋にある将官以下四千人のために奉事を務めること2年、その功を賞して明治40年露国聖務院より賞状を露国皇帝より純金胸かけの十字架を賜った。 大正6年、主教セルギイ師の命令により露国 シマーコフカ修道院へ。 大正9年の夏、公会により長司祭を任せられた。 茶道は初め久田流で、有楽流を藩主 徳川氏の茶道山本洞伝に学び、その後、千家裏流を月の家老師に学び、さらに柴田宗茂師について千家表流を修得。 茶道の研究について飽き足らず、南方録を研究し、田中仙樵氏と交流をもつ。 著書に「茶人系譜」「本朝陶器誌」「正教の栞」「喫茶南坊録」がある。
昭和12年4月20日没後は、玉光(次女の秀子)が父・不言による南坊録注解に則り、茶道不言庵を興し、後進の指導に尽くした。 昭和48年6月30日に玉光が没した後は、犀光が指導を続け、現在に至る。
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茶道不言庵
柴山犀光
042-381-1104
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