雨の音や風邪でしんどい時、工事の爆音に至ってもドレミの階名で入ってくるのも一つの理由だ。
ただし指導の仕事に至っては大好きで、レッスンの時は250%全力で分け隔てなく教えまくる。教員としての信念は「いつでも全力」がモットー。ただ、教え子がその後舞台でどう表現するかまではコントロールできないし、自分の歌声も耳の構造上、正確には把握できない。だからこそ歌を続けたいなら、プロの指導者によるメンテナンスが必須だ。
10代の頃は自分の高い声が説得力がなくて好きではなかったけど、映画『アマデウス』で華麗に高音を操る夜の女王(魔笛)に魅了され「カッコいい!」と一気に心の方向転換をした。
映画鑑賞の授業がきっかけで通信高校を卒業、本格的に声楽を始めたのは大学に入学した21歳からで明らかに遅れを取っていた。周りは「中学生から有名な教授にレッスン受けてます」という人達ばかり。鍛えるためには周りの10倍の努力が必須だった。
20代は音大で厳しい師匠に鍛えられ、寝起きすぐにhighA、コンクールで勝つためには4点Cなんて当たり前。スケールも完璧ピッチで揃える徹底ぶりが、今の教え子たちへの「喉に負担をかけない堅実発声」にもつながっている。
30代に入ると声の成熟期となり、生徒が増えてアイドルやアーティストにまで幅広く指導するようになった。とにかく口コミパワー炸裂し、「絶対喉は壊させないコスパ重視発声」がこの頃の私のモットーだった。
だがしかし!40代に入ったタイミングで新型コロナが襲来。年齢的にも免疫が落ち、なんと声の調子を崩してレッスンを休まざるを得ない日々が訪れた。生まれて初めての声の不調とリスケ祭り。この頃が一番辛く精神的にも病んでいた。
普段仕事でネガティブなことを考えたこともない、無遅刻無欠席だった自分が、ある日ドンキの交差点を渡る途中で突然謎の涙が止まらなくなった。教え子の佳凪きの(Kolokol/コロコル)に急遽電話して慰められたりと周りは理解してくれる人が大半だったが、声のトラブルを理解してもらえないこともあり、一人で全ての対応を完璧にこなすのが難しくなっていった。