その遠藤が、当時は元大関千代大海、現在の九重親方が一時はすり寄ってきてさんざん面倒を見たのに、ぷっつり連絡をしてこなくなって怒っているというのである。
遠藤が九重親方と知り合った2001年頃の話だそうだ。
《「アイツは博打が大の好物。『アニキ、(トランプを)めくりたくなってきました』とよく誘ってきた。私も好きだったので『じゃあ行くか』って渋谷の道頓堀劇場の裏あたりに当時あった闇カジノに2、3回連れて行った。私がその店のバカラ大会で優勝して300万の賞金を獲得したことは彼も覚えているはず。『お前も取っておけ』と20~30万円渡しましたから」
港区にあった闇カジノにも2、3回一緒に行ったと証言する。
「ある晩、そこから『アニキ、助けてください』と電話をかけてきたことがあった。負けがこんで泣きついてきたんです。車を飛ばして駆けつけてやりましたよ。チップを貸してやって、そのまま一晩2人で遊びました。ただある時から『闇カジノはもうやめよう』と言った。お互いバレたらヤバい立場だったから」
その代わりに始めたのが「マンション麻雀」だった。遠藤氏は当時、会社の隣に所有していたマンション最上階に麻雀ルームを持っていた。》
15年前、野球賭博問題の最中に新潮は4週にわたり、九重親方の闇カジノ通い疑惑を報道した。だが、あの時、九重親方は最後まで「行ったことはない」とシラを切り調査から逃げ切った。だが、遠藤によれば違法賭博にどっぷり浸かっていたのである。
その上、01年頃から数年間で数回にわたって九重親方に約1億円を貸付けたと語っている。
当時九重親方は現役だったが、小錦が所有していた「佐ノ山」の名跡を取得するために7000万円を貸し付け、「その代わりに彼は取得した証書を持ってきた。その証書はしばらく社長室の金庫で預かっていました」(遠藤)
当時賭博問題で角界を引退した貴闘力も、「遠藤氏の告発で協会にとって最も問題があるのは年寄株を担保に金を借りていたことです。事実ならば絶対あってはならない不祥事」だといっている。