母親は茜さんを通信大学に入れ、教員免許に不足している単位を取らせました。接客業などのアルバイトをしながら、猛勉強して教師を目指すという、茜さんにとって厳しい生活が始まります。
1年目の採用試験は不合格でした。「教師になりたくない」と一貫して思いながら、計4回も教員採用試験を受けました。

例えば、レシートの金額の写し間違えを連発します。また、何かの事務作業をしているとき誰かに話しかけられて作業を中断すると、直前で行っていたタスクを忘れてしまうのです。
ここで茜さんは、疲労だけでは説明がつかない、自身の特性を自覚します。そこで大人の発達障害の診察をしてもらえる医療機関を探し受診しました。
◆発達障害と診断されたけど、母親に理解されるわけがない
これまでの生い立ちや現在の自分の状態を医師に伝えると、うつの傾向があることに加え、ADHD(注意欠如・多動性障害)だと診断されます。子どもの頃からずっと母親に「努力が足りない」と言われ続けていたことが、発達障害のためだったとわかったのです。
医師からは障害者手帳の交付申請ができることも伝えられます。障害者手帳をもらうと医療費の負担額が3割から1割にまで減ることなど、様々な説明も受けました。
しかし、茜さんは母親が娘の発達特性を理解してくれるはずがないと思いました。ADHDであることや、メンタルに関する通院がバレたら、また母から監視されると思い、手帳の交付申請はためらわれました。茜さんが26歳のときの出来事です。
幼い頃からずっと母親の支配下に置かれ、成長して母親の異常性に気づいてからも逃れることができなかった茜さん。彼女には自分の人生の決定権すらありませんでした。そんな状況で「子どもは持ちたくない」と思うのも無理はありません。