警察は鵜久森の死について、不慮の事故、もしくは「自らの選択」との見解を示す。しかし、九条同様に2周目の人生を歩んでいた鵜久森は、九条にだけ、「3回目(の人生)はないという感覚と同じように、この後、自分に明日(10月5日)が来る実感がない」と不安を明かし、「でも、死にたくない」と気持ちをぶつけていた。この死には、何か理由がある。そう感じた九条は、犯人探しを始めて復讐に怒りを燃やすのではなく、D組の生徒たち、そして教師たちをも鵜久森の死と向き合わせることを選ぶ。「本当に心を込めて告げられた『ありがとう』には絶対に報いたいと思わせてしまう」――鵜久森の死にショックを隠しきれず、自室に閉じこもっていた九条だったが、鵜久森の母・美雪(吉田羊)から伝えられた感謝の言葉を受けて、“最高の教師”としてふたたび立ち上がったのだ。
九条の覚悟に対して、3年Ⅾ組の面々の反応はまさに三者三様だった。鵜久森の死の理由を明らかにしようと奮い立つ生徒、自身の将来を見据えてこのまま真相に蓋をしようとする者、そして今までと変わることなく九条に悪態をつき続ける者。高校3年生という多感な時期ゆえにお互いに主張をぶつけ合うのは仕方がないことだ。ただ、「1周目」と大きく異なるのは、生徒たちが鵜久森の死を“無いもの”にしていないことだ。このクラスは確実に変化している。生徒たちだけで話し合わせたのは、その変化の胎動を担任として肌で感じた九条の大勝負だったのかもしれない。
そしてこの新章では、ついに教師たちをも巻き込む。九条は4月に盗撮したD組の“鵜久森いじめ”の映像を見せ、大人として、教師として真摯に向き合うべきだと訴える。九条は「この出来事には理由がある。私たちその理由と向き合わなければならない。誰ひとり関係ないとは言わせない」「すべてをさらけだし、彼女がなんでこのような出来事を迎えなければならなかったのかを、考えるんです」として、D組のホームルームの様子を職員室の教員たちに見せていた。生徒の死に向き合うことから逃げ出したい教師たちだったが、九条の覚悟に感化されていく。
そして、「今回の件について学校として向き合わせてください」とD組の生徒に頭を下げたガッシュ教頭こと我修院学(荒川良々)は、記者会見を開き、「現状の(警察の)見解で結論とするのは尚早だと思いました。我々は全力でその理由と向き合いたいと思います」と宣言。続けて「関係のない人たちが憶測で言葉を投げかけるのはやめてください。なぜならここは学校だからです。ここには未来ある人がたくさんいて、そのひと言で人生を左右されてしまうかもしれない」「それでも何か言葉を投げたいとき、我慢できないときがあれば、私に言ってください。だって、私がここの責任者なので。責任があるのは生徒でも教員でもない。私です。私ひとりです」と訴え、「この学校が本件の生徒について本気で向き合う時間をつくるためなら、私はなんでもする」と誓った。本ドラマの「最高の教師」とは、九条だけを指すのではないのかもしれない。