これでは不倫がバレても致し方ない。この背景には社内の報道部との対立もあったというのだが、それにしても脇が甘すぎる。俺はエリートだから大丈夫という驕りがあったのだろうか。
ところで、ポストの対談が話題だ。
タイトルは「皇室改革なければ『秋篠宮家』一家丸ごと皇籍離脱の可能性」。最近の秋篠宮の言動を見ていると「冗談だろう」と切り捨てるわけにはいかない。
政治学者の原武史と歴史学者の河西秀哉との対談である。
冒頭、原は「昨年11月の秋篠宮の誕生日会見は重い訴えだったと感じました。女性皇族が結婚後も皇室に残る案について問われた秋篠宮は、皇室の制度についての発言は控えつつも、『該当する皇族は生身の人間』と発言し、その点への理解が薄い現状に苦渋をにじませた。当事者を置きざりにして議論だけが進むことへの危惧を示唆するものでした」と述べている。
河西はそれについて、「意見を聞いてもらえない、という戸惑いとともに、皇族が自分の意志を発する難しさが伝わりました。発言の背景には次女・佳子内親王の存在も大きいのでしょう」と話している。
さらに原はこう続ける。
「宮中には、男性よりも女性のほうに負荷のかかるしきたりが依然として残っています。それを温存したまま佳子内親王を皇族の制度に縛り続けるのか。『生身の人間』という言葉には、そのような疑問が暗に込められていたように感じます」
河西も、
「一方で04年に始まった皇室典範改正の議論が一向に決着しない現状に『早く何とかしてくれ』とのメッセージを送ったとも感じました。政府に対する批判であり、国民への問題提起でもあったと思います」
と話している。
この誕生日会見を大手メディアは一通りにしか報じていないが、皇室に多少関心がある人間には大きな驚きであった。
私も前回のこの欄でこう書いた。
《11月30日の誕生日に際して行われた秋篠宮の会見で、秋篠宮はこういったのである。
「該当する皇族は生身の人間。その人たちがそれによってどういう状態になるのか、(略)宮内庁の然るべき人たちは、その人たちがどういう考えを持っているかを知っておく必要がある」
この発言は大きな波紋を呼んだと新潮が報じている。
これは秋篠宮家を知る関係者によれば、
「今回のご発言は一見して宮内庁に苦言を呈された格好になっていますが、殿下は宮内庁が政府の一機関に過ぎないことは重々ご存じ。ご発言の真意は、ご自身や佳子さまのお気持ちを把握しないまま協議を進めていく与野党の政治家、そして、その立法府から報告を受ける政府への“痛烈なご批判”に他なりません。新たな制度が作られつつある裏で、当事者が抱く思いを世間に知ってほしいと考え、あえて“身内”たる宮内庁の名を挙げてアピールされたのです」
佳子さんと“別居”生活をしているのも、「いずれはこの家から出ていくであろう(略)娘たちの部屋をそこに用意すること自体がある意味無駄になる」という考え方からだそうだ。
そうだとすれば、皇室としてはかなり思い切った発言だが、そこまで踏み込んでも、皇室の人間の将来を何も考えない政治家たちは、数合わせさえすれば事足れりとするのだろう。
たしかに、佳子さんもそうだし、姉の眞子さんもそうした考えを貫き、小室圭と結婚してアメリカまで逃げていってしまったのだ。
佳子さんに眞子さんと同じような形の人生はさせたくない。だが、結婚後も皇室に残るということが決まれば、佳子さんは一生皇室に縛り付けられることになる。
親としては何としてでも娘に自由な空気を吸わせ、人生を楽しんでもらいたい。この秋篠宮の心からの叫びを、政治家だけではなく、われわれ国民も耳を傾ける必要があるはずだ》