48.9kgリミットの国内戦に出るはずが、未経験の52.2kgでの世界タイトルマッチに変更になったのである。ここまで乱暴なマッチアップは、ボクシングの世界ではあまり例がない。

 リングに上がると、その体格差は歴然だった。バムはクアドラスより2周りは小さく見える。だが、サウスポースタイルからのスピードに乗った独特の足さばきと鋭いカウンターでクアドラスを攻略。意地を見せるベテランをさばききってタイトルを奪取して見せた。

 その後、バムはシーサケット、サニー・エドワーズ、ファン・フランシスコ・エストラーダといった有名選手を次々に撃破。シーンの中心選手に躍り出ている。

 スーパーバンタムに井上、バンタムに中谷潤人、スーパーフライにバム。それが今の軽量級の勢力図だ。

伝説は事件から始まった

 アジアの至宝、フィリピンの伝説、戦慄の破壊者、6階級を制覇したマニー・パッキャオの世界ロードもまた、「代役」からのスタートだった。

 01年6月23日、IBF世界スーパーバンタム級王者のレーロホノロ・レドワバにパッキャオが挑戦することが決定したのは、試合からわずか2週間前のことだった。予定されていたエンリケ・サンチェスの欠場によってチャンスを得た当時のパッキャオはフライ級で一度タイトル獲得の経験があったが、本場・アメリカでの知名度は皆無。界隈の予想は、タイトル5度防衛のうち4度をノックアウトで片付けているレドワバに傾いていた。

 この試合でパッキャオは前進しながら強打を振り続ける独特なスタイルを披露。1ラウンドに早くもレドワバの鼻からは鮮血が飛び散り、その後も6ラウンドまで一方的に打ちまくって王者をリングに沈めてしまった。後のレジェンドの衝撃的な世界デビューである。

 この日、メインイベントのリングに立っていたのはオスカー・デ・ラ・ホーヤ。スーパーウエルター級のタイトルをかけた5階級制覇への挑戦試合だった。

 パッキャオのこの日のウエイトは55.3kg。デラホーヤは69.9kg。その差は約15kgもあったのだ。