2007年8月31日、1歳の悠仁さま(C)GettyImages

 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 

目次

・男性皇族は「エリート軍人」となることが義務だった
・学習院設立の背景に、皇室と一般社会のゾーニング
・東京大学受験を公言した皇族と、悠仁親王の違いとは?

男性皇族は「エリート軍人」となることが義務だった

――昨年(2024年)末、秋篠宮家の悠仁親王が筑波大学・生命環境学群生物学類に推薦合格なさったという発表がありました。悠仁親王は幼稚園から大学まで、「皇族のための学校」といわれている学習院にはまったく御縁がなかったわけですね。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 悠仁親王のご両親である秋篠宮ご夫妻は、いうまでもなく学習院大のOB・OGであられ、同校で出会ったことがきっかけで結婚もなさったともいわれます。学習院という学校が「皇族のための学校」というイメージで見られるのも、秋篠宮ご夫妻だけでなく、多くの皇族がたがこの学校に通われたという「歴史」あってのことなんですね。

――学習院の歴史についてはこれまでもお話しいただきました。貧しさが理由でまともな教育にありつけなかった公家の子弟たちが通うための学校として作られた、幕末の京都の学習院と、東京・学習院は名前こそ同じですが、まったく違う組織だといえるのですよね?

堀江 はい。東京・学習院は明治10年(1877年)の設立時点から、皇族・華族の子どもたちが通うことを第一に想定した、超特権階級のための特別な学校でした。

ちなみに明治10年以前に「高等教育を受けたい」と考えた皇族・華族たちはどうしていたかというと、明治天皇は海外留学を勧めていたのです。

学習院設立の背景に、皇室と一般社会のゾーニング

――悠仁親王が東京から茨城に通学なさるのか、それとも大学の近くでお暮らしになるのかが注目されていますが、かつては海外留学ですか。明治期のほうがある意味、自由だったのですね。