備品の場所も覚えていない。営業前にトイレ掃除もしない。経営判断も誤っている。パパを徹底的にダメな人間として描いている。
パパの仕事にママが必要であると言いたいのはわかります。だったら、パパに仕事をさせなさいよ、という話です。この『おむすび』というドラマで、パパが顔見知り以外の一般客の髪を切っているシーンは一度も登場していません。娘の彼氏である翔也(佐野勇斗)の髪を切るという、パパの職人としての矜持を見せる一世一代のチャンスでも、カツラのすそをチョチョッと触っただけでした。
ドラマは、映像でメッセージを伝える媒体です。「働くって何なん?」と問いかけるなら、ママが帰ってきて百人力になったそのパパの仕事を見せてほしいわけです。そして願わくば、社会人としてのパパの仕事ぶりに共感したり、「やっぱ職人やな!」なんて感心したり尊敬したりしたいわけです。5秒、ナレーションベースのダイジェストでいいよ。スパスパとカッコよく客をさばく昼間のパパを見せてよ。ソファでヒザを抱えてイジけて、平謝りしている姿を見たいわけじゃないんだよ。ママの偉そうなご高説を聞きたいわけじゃないんだよ。
この「本質を映像で描かない」というスタンスはいったいなんなんだろう。西方沖地震の件はもうあきらめるとしても、結が翔也のために最初に作ったお弁当とか、昨日のイワシ明太とか、作り手側が映像というメディアを信用していないことがありありと伝わってくるんです。画面の力こそが視聴者の心を動かすなんて、微塵も思っていない。そういう人たちが作っているドラマなんです。
「ドラマ作りって、何なん?」そう小一時間、問い詰めたい気分です。
野球に関してはそれどころじゃない
ママの家出についてのエピソードはいちおう物語の体をなしていただけに「だったら見たいシーンを見せてよ」なんて贅沢を言ってしまいましたが、翔也が肩を壊すまでのプロセスはもう一段階、低いレベルで問題が発生しています。