結局、将来どころか明日からの仕事をどうするかもろくに考えていなかった結&翔也はパパの説得に屈して一時撤退。翔也は「家族には俺からメールしとく」と結に告げるのでした。
何も言ってないんですね、翔也氏。糸島で2人で結婚を決めて、ジジババと一緒にご飯食べて話をして応援を取り付けて、神戸の米田家に乗り込んでパパに土下座しようとする一方、自分の家族には何も言っていない。しかも、メールで伝えるという。
普通に考えて、翔也が糸島から実家に電話をかける展開が自然ですが、それ以前にこの男が自分の彼女のことを母親にどう伝えていて、母親が結をどう認識していたかが、まったく抜け落ちているんです。
この一連のシークエンス、若い2人が結婚についてまだ真剣に考えていなかったということを表現しているわけですが、作り手と視聴者との間でその前提の情報共有ができていないので「真剣に考えていない」感じが結と翔也の2人からではなく、ドラマ全体から伝わってきてしまっている。「こいつらちゃんと考えてねーな」の「こいつら」が「結と翔也」ではなく「『おむすび』そのもの」に見えてしまっている。
そういえばこの、震災とか含めていろいろ「ちゃんと考えてねーな」という感触もまた『おむすび』というドラマからしか得られないものでした。
そうして翔也が母親(酒井若菜)に送ったメールの文面はこうでした。
「俺、米田結さんと結婚する。ムコになる。」
件名を示す「Sub」の欄は「無題」。結婚について真剣に考えていなかった男が、結パパにたしなめられて真剣に考えようと思い直した結果の文面がこれですよ。家族への決別宣言です。ここまで四ツ木家の相当な家庭内不和、家族の機能不全が描かれてきたのならギリ理解できますが、せいぜい「野球をやめても実家の農園に翔也の働き口がない」くらいの状態でしたよね。ここも「翔也が言葉足らずな男である」という表現なのでしょうが「『おむすび』そのものが言葉足らずなドラマである」と見えてしまっています。