毎年、ニュースターを輩出し、バラエティにとっての芸人供給システムとして機能してきた『M-1』に異変が起きたのは、23年末のことだった。

 初のファイナル進出、トップバッターで優勝まで駆け抜けた令和ロマンには、その時点でブレイクが約束されていた。ネタ番組はもちろん、大御所とのトークバラエティ、ドッキリにかけられることもあるだろう、誰もが翌24年の令和ロマンのテレビ露出を当たり前のように待っていたはずだ。

 だが、令和ロマンは「出ない」という選択をし、それを公言した。テレビでのブレイクを能動的に拒否した、初の『M-1』王者となったのである。

「芸人は全員、テレビに出たいわけじゃない」

 視聴者は、その新しい価値観を見せつけられることになったのである。

 令和ロマンは早々に「『M-1』連覇」を宣言し、年間600以上の舞台に立ったという。積極的なテレビ出演は控えたが、決して売れることを拒否したわけではなかった。その証拠に、髙比良くるま自身はこの1年を「歴代王者の誰よりも吉本興業に貢献した」と自己評価し、「誰よりも収入が高かったはずだ」と言い切った。

 時間は限られている。誰でもいいというテレビオファーより、令和ロマンを指名してくるWEB媒体を優先する。

 そうして「『M-1』連覇」にたどり着いたくるまは『M-1グランプリ アナザーストーリー』で、「逃げた」と語っていた。すべてをかけて挑んできた『M-1』が終わったとき、自分の生活がどうなるのか、それを考えることから「逃げた」。その逃避先としての「『M-1』連覇」だった。

「いよいよ卒業させられるのか」

 2年連続トップバッターからの連覇という形で『M-1』の常識を破壊した令和ロマン、次はどんな常識や既成概念を壊してくれるのだろう。そんな令和ロマンだけの「ネクストブレイク」にも期待したいところだ。

(文=新越谷ノリヲ)