翔也がボッタクリを疑っていると、チャンミカ(松井玲奈)とアユが登場。さすが、かつて博多統一を果たしたカリスマだけあって、ギャルを大量動員することなど朝飯前のようです。

 アユが結を糸島に追い出し、その間にギャル魂によって翔也の心の回復を図るということなんでしょう。

 過保護なんですよ。ここが『おむすび』というドラマの作劇上もっとも失敗していると感じる部分なんですが、どの時代の誰もが結に対して過保護なんです。

 思い出すのは第28回、震災のトラウマから「どうせ全部消えてしまう」としょげ返って、ハギャレンも書道も辞めてしまったエピソードがありました。

 あのとき、書道部の王子(松本怜生)と恵美ちゃん(中村守里)は「いつでも戻ってきな」と言ってくれたし、リサポン(田村芽実)はハギャレンみんなで作った「ムスビン大好きいつもありがとう」というメッセージ満載のアルバムをプレゼントしてくれた。

 第49回、専門学校編では、結がパン屋の女将とナベの不仲に悩んでいる間に、同じ班のみんなが炊き出しの問題点についていろいろ調べて、メニュー作成のお膳立てを整えてくれた。

 今、やるべきことにまるで真剣じゃない結を、何かに真剣に取り組んでいる周囲の人間が助けてくれるというパターンを、ずっと繰り返している。

 そうして神輿に乗せられ、手柄を与えられた結が大上段から「そなたもギャルである」というお墨付きを与え、周囲は「へへー、結さまこそが人と人を結ぶ現人神なり」と崇め奉ることになる。

 こうした「橋本環奈をありがたがる」という作り手側のマインドがモロにストーリーに反映されてしまっているために、結というヒロインが自力で道を切り拓いていく、成長していくというプロセスが描けなくなっている。

 今回、失意の恋人を立ち直らせるという主人公にとって最大の見せ場をアユに譲ってしまったら、ドラマとしてマジで取り返しのつかないことになると思うんだけど、どうするんだろう。

(文=どらまっ子AKIちゃん)