あと栄養士になるきっかけについても、糸島で両親に言った「一生懸命やっとう人を支える。そういう仕事が自分に向いとると思う」と、専門学校の自己紹介で言った「彼氏を支えるため」が場面によって使い分けられているので、本当は何がやりたくて栄養士の道に進んだのかもわからなくなっている。
この「何が好きで、何が大切である」がわからないことと、「ギャルは好きなことには一直線」という概念が絶望的に相性が悪いんですよね。別に若者なんだから、自分の中で何が大切かわからないというモラトリアムの中で自身の核となる哲学を見出していくという話でもいいのに、「ギャルである」という設定を押し付けられているから、人物に矛盾が生じている。「好きなことに真剣である」ことがギャルの定義だとすれば、もはや作中で結ただひとりがギャルじゃないという状況まで来てしまった。昼間から生ジョッキ2杯飲んで「真剣に悩んでます」って顔されても、さすがに聞く耳を持てませんよ。
と、ここまでは今日に始まったことじゃないんでいいんですけど、今日のトピックはやっぱり、ナベべですわな。ナベべ。緒形直人。なんということでしょう。
いや、あのね。これは被災者の心の回復ではなく変貌でしかないわけですけど、まあいいやって思っちゃったんだよな。明るくて楽しいならいいよ。ナベさん震災前からひどい扱いだったから、明るく楽しく暮らせてるならそれでいい。たぶんギャルたちから対価としてアッパー系のヤベーやつを処方されてると思うけど、もういいんだ。そのナベべを通して「ギャルは人を元気にする」って言いたいのも、それももういいよ。
問題は、ナベべに楽しい人生をもたらしたのが主人公じゃないことなんだ。アユのアイディアと、そこらへんの見知らぬギャルによるものだったことなんだ。
また助けられることになる
家なき子こと翔也が川を眺めていると、また見知らぬギャルがやってきて変なクラブに連行、シャンパンを開けてゴキゲンです。一度は拒否した翔也が、ギャルの「うちらと飲めば嫌なことを忘れられる」という言葉に反応して付いて行くくだりも噴飯ものですが、もう今日はナベべの件で噴く飯も残ってないので、とりあえず行く末を見守ることにします。