ドラマ終盤でいきなり差し込まれた、まひろの大宰府行きについては、本来こういう時代の変化を描くためのイベントだったのでしょうが、いろいろと描き足りていない部分が目立ち、結局バタバタした印象だけで終わってしまったのではないでしょうか。
また、ドラマでは京都の公卿たちが、国家の有事に際しても危機感が足りず、あるいは権力闘争に終始し、肝心の道長も出家しているので辣腕を振るえなかった、あるいは摂政になった息子・頼通(渡邊圭祐さん)も万事、事なかれ主義でふがいないという描写についても補足しておきます。
以前のコラムでも触れたとおり、史実では重病を理由に出家した道長ですが、その直後から頼通ではなく、道長を頼る公卿たちが彼の屋敷に日参していたことが、藤原実資(秋山竜次さん)の日記(『小右記』)などからよくわかります。
実資いわく、ドラマとは異なり、史実の道長は病みやつれて、御簾越しの対面だったにもかかわらず、「容顔、老僧のごとし(*原文は漢文)」だとわかる状態でした。気力も失われていたので、実資は道長に「一月五六度(=1カ月に5、6回程度は)」朝廷に来て、我々をご指導くださいと「ヨイショ」せねばならなかったくらいです。
しかし、大宰府で苦しんでいたのは道長の政敵である藤原隆家(竜星涼さん)だったからか、病後で頭が回らなかったのか、理由は不明ながら、道長は国難である「刀伊の入寇」事件に関わろうとしませんでした。これは厳然たる史実です。
ただ、こういう重大事件の情報を、公卿たちの会議(陣定)開催よりもいち早く、私的に報告してもらえたりすることで、「自分が必要とされている」と道長が感じ、回復が早くなった可能性は多いにありますね。とくに実資からの励ましは効果があったようで、出家以来、元気がない夫のことを心配していた倫子から喜ばれた――原文では「(関係者から、倫子の素振りに)悦気有り」と伝えられたと、実資は『小右記』に嬉々と書き残しています。