「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
目次
・美智子さまのご成婚祝賀パレードで異常な「興奮」を覚えた三島由紀夫
・皇太子殿下は美智子さまを奪った恋敵?
・皇太子殿下に抱いていた三島由紀夫の「愛」と「憎しみ」
美智子さまのご成婚祝賀パレードで異常な「興奮」を覚えた三島由紀夫
――美智子さまの関係者は完全否定しているものの、「美智子さまと自分は一度、歌舞伎座でお見合いをした」と主張している昭和の文豪・三島由紀夫。二人の対面はそのとき一回かぎりだったようですが、三島の中で美智子さまを慕う気持ちは燻(くすぶ)り続けたんですよね?
堀江宏樹氏(以下、堀江) そうです。三島自身が結婚したとき、美智子さまへの思いを書いたページを破って燃やしたそうですよ。まぁ、これもどの程度信頼できる情報かは、神と三島のみ知る話……というしかありませんが。そして昭和34年(1959年)4月10日、美智子さまと皇太子殿下のご成婚を祝う祝賀パレードのさなか、お二人の馬車が天皇制反対論者の19歳男性に襲われたのをテレビで見ていた三島は、異常な「興奮」を覚えたといいます。
――襲撃されたのを見て興奮したんですか? 三島の感情が怖い。
堀江 襲撃事件をテレビで見ていた三島によると、「これ(=馬車への投石と襲撃事件)を見たときの私の昂奮は非常なものだつた(略)。この十九歳の貧しい不幸な若者が、金色燦然たる馬車に足をかけて、両殿下の顔と向かひ合つたとき、そこではまぎれもなく、人間と人間が向かひ合つたのだ」。
さらに、民衆を代表する19歳の暴漢青年と向かい合った皇太子殿下と美智子さまは「恐怖の顔」だった――とも三島は『裸体と衣装』(新潮社)というエッセイの中で断定的に記しているのですが、これは「こじらせ文豪」の筆頭格である三島の「妄想」だったようです。