9月11日には紀子さんが誕生日に際して公表した文書には、秋篠宮家に対するバッシング情報について「心穏やかに過ごすことが難しく、思い悩むことがあります」と書いてあった。

 秋篠宮家は夫婦二人してSNS上に書き込まれている批判を熱心に読んでいるようだ。精神衛生上よくないと思うのだが、その上、それらを国民の声として受け取り、国民の多くが自分たちを「いじめている」と捉えているといったのだ。

 悪手どころではない。長女の眞子さんと小室圭の結婚から始まり、悠仁さんの受験騒動、次女の佳子さんとの別居生活、何十億円も費やした秋篠宮邸改修などについて、ほとんど国民への説明もないから、秋篠宮家批判が起こっているのである。

 それを考えもしないで、一部のSNSでの批判を取り上げ、自分たちが故もなく誹謗中傷されているというのでは、秋篠宮家に寄り添おうという国民さえも離れていってしまうのではないだろうか。

 文春でノンフィクション作家の保阪正康が、秋篠宮の発言についてこう語っている。

「今回の会見で秋篠宮殿下は、事実上、ネットの書き込みに接していると認めてしまった。これは率直にいえば、あまり良いことではないと思います。いわゆる皇族のディグニティ(品格)が薄れてしまうのではないでしょうか」

 フェイクまがいの言動に秋篠宮が反論することで、自分も同じ次元に立ったと受け取られ、「それは皇族の“聖”性を自ら崩すことと同じです」という。

 さらにこういう。

「皇族は自らのさだめを受け入れて“聖”の獲得のために努力し、国民はその“聖”を精神の拠り所として敬愛してきた。それはいわば、皇室と国民との“約束事”でした。それが、国民がネットで好き放題なことを書き込み、皇族がその都度いきり立つという構図が繰り返されれば、こうした約束事は一切果たされなくなってしまう。それは将来の日本にとって、きわめて不幸なことなのです」

 本来なら、こうしたことを秋篠宮に代わって宮内庁がやるべきなのだ。だが、秋篠宮と宮内庁の関係もぎくしゃくしているようだ。