嘘を見抜ける能力を気味悪がられて村を追われ、その能力によって居場所を見つけることができた鹿乃子。それでも折に触れて「見抜けてしまう」ことに思い悩んできましたが、母親との再会を経て「嘘をついている人を信じてもいい」ということをすでに知っていたのでした。

 鹿乃子の能力とサプライズの相性は最悪ですので、もともとこの企画に乗り気でなかった左右馬は、鹿乃子を不安がらせないためにパーティー前日にみんなの前でサプライズをバラしてしまいます。

 穏やかに訪れた聖夜、まばらに散り始めた雪空の下で、鹿乃子と左右馬は互いに「メリークリスマス」と言い合います。もちろん、この「メリークリスマス」にも嘘はありませんでした。

 なんていい話なんでしょう。すごくいい話だった。ちょっと涙きちゃったね。

 探偵業にとって、嘘を見抜けるという能力は絶対的なチートです。第1話を見た限りでは、その能力の活用法を巡ってさまざまなバリエーションの事件が発生するとしか思っていませんでしたが、ドラマは「能力を持ってしまった者」の苦悩を丹念に描き出してきました。

 鹿乃子の苦悩とは、その「嘘解き」という能力が探偵業においてだけでなく、人間関係を構築する上でも絶対的であるという思い込みからきているものでした。人を信じるか、信じないか。この人を信用していいのか、よくないのか。嘘を見抜ける自分は、相手の言葉からそれを正確に判断してきてしまう。だからこそ、相手は自分を怖がってしまう、関わりたくないと思わせてしまう。

 最終回を前に、その鹿乃子の固定概念が解きほぐされることになりました。「嘘をついている人を信じてもいい」ということは、言葉の真贋によって相手の気持ちを判断できなくなるということでもあります。それはそれで鹿乃子という女の子にとって新たな不安を呼ぶ要素となるかもしれませんが、そんなのはみんな同じだもんな。「嘘解き」の能力があってもなくても、相手が何を考えているかなんて、本当のところはわからない。それでも、誰もが人と関わって生きていくしかない。