その2つの取材で得た情報があったとして、それを永吉おじいちゃん1人にやらせてどうすんのよ。基本的なことを言いますけど、永吉おじいちゃんというキャラクターをドラマに登場させたら、それは1人しかいないんですよ。1つの時間軸に、1人しか存在できないんですよ。よろしくお願いしますよ。
第48回、振り返りましょうか。
■それはギャグでやっているのか
スランプに陥った翔也(佐野勇斗)が専門学校に結(橋本環奈)を訪ねてくるシーンがありました。翔也を見て、サッチン(山本舞香)がキャアキャア言いながら恥ずかしがるシーンがあるんですね。モリモリ(小手伸也)の背中に隠れて、翔也の顔を見ることもできない。いわく、若い男が苦手なんだそうです。別に翔也はサッチンに話しかけてきたわけでもないし、眼中にもない。それなのに、サッチンは過剰反応をしている。
ツンツンしていたサッチンの意外な一面、ギャップ萌え、楽しいし、愛らしいだろ? そういう意図であることはわかるんですが、そんなわけないんだよ。
小中高ずーっと女子校で外部との接触を断ってきた深窓の令嬢だというのならまだギリわかるけど、この人、陸上のオリンピック候補生なんだよね? インターハイで優勝してたよね? 同じトラックやフィールドには引き締まった肉体美を誇る男子高校生が山ほどいたはずでしょ。
ドラマの世界には「行間を読む」という言葉があります。前後のシーンを理解して、その間にある「描かれていない時間」を想像するということです。例えば誰かが「いただきます」と言って手を合わせていて、次のシーンで「ごちそうさま」と言って食器が空になっていれば、ああこの人は食事をしたな、と誰もが想像できるわけです。
『おむすび』では前後のシーンの間に矛盾が発生するために、その間に何が起こったのかまるで想像できないというケースが頻繁に訪れます。しかも、物語上重要なシーンでも、今回のようなどうでもいいシーンでもそれが起こっている。むしろストレスになるのはこうしたどうでもいい、単にギャグとして提示されたケースなんです。冒頭に記したような永吉じいさんの矛盾については、まあそうしなきゃ話が進まないならしょうがないよ、飲み込むよという気分にもなるんですが、単に笑わそうとして余計な矛盾を押し付けられると、ナメんなクソが、と思っちゃうよね。サッチンが若い男苦手だなんて、別に全然おもしろくないんだもん。