大晦日のNHK『紅白歌合戦』で「唱」を披露したAdo。東本願寺の能舞台をプロジェクションマッピングとライティングが彩るなか、檻(おり)の中にシルエットのみで登場する演出は圧巻でした。
SNS上でも「永久保存版」とか「カッコ良すぎる」と絶賛の声が相次ぎ、今年4月の国立競技場でのライブ、そして全米デビューに向けてますます期待が高まっています。
◆紅白でダントツのインパクトだが物珍しさも勝つ
数ある声の使い分けや声量、切れ味鋭いリズム感など、出場した歌手の中でも群を抜いていました。
3分40秒に詰め込みすぎて慌(あわ)ただしさも感じましたが、NHKがYouTubeにアップロードした公式動画(『【Ado】「唱」紅白に降臨!圧巻の歌声が響き渡る!【紅白】|NHK』)の再生回数484万回(1月6日時点)が示すように、昨年の紅白ではダントツのインパクトを残したと言えるでしょう。
しかし、思うところがないわけではありません。それは、Adoは永遠に姿を見せないままなのか、ということです。もちろん、そういうコンセプトのプレゼンテーションであり、それを前提にアーティストのシナリオが作られていることはわかります。
けれども、どれほど策を練ろうとも、姿かたちのない歌手が真に世の中から受け入れられるのだろうかという疑問は残るのですね。
“こんなに大ヒットしているのに受け入れられるも何もないだろう”と思われるかもしれません。しかし、能舞台にプロジェクションマッピングという構図からもわかるように、どちらかといえば今は物珍しさが勝っている可能性はないでしょうか?
意地悪な言い方をすれば、みんなAdoの歌唱力はスゴいと言うけれど、しかしそれは極端な演出とセットでなければ伝わらない。歌を聴いているよりも、出し物に興奮している状態なのではないかと感じるのです。