スリランカと聞くと、紅茶を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか? 紅茶栽培に適したスリランカですが、じつはかつては、コーヒーの一大生産地として世界的に有名でした。
スリランカのコーヒー栽培はどのように始まり、どのように衰退したのでしょうか。本記事では、幻のコーヒー「セイロンコーヒー」の歴史について詳しくご紹介します。
歴史に翻弄された「セイロンコーヒー」
幻のコーヒーと呼ばれる「セイロンコーヒー」。世界に流通したのは、なんと数十年にも満たないほどの期間だったといわれています。ここでは、スリランカのコーヒーの歴史についてまとめてみました。
イスラム教の巡礼者によって持ち込まれたアラビカ種
17世紀初め、イエメンからインド経由で到着した巡礼中のイスラム教徒たちが、一番最初にスリランカ(セイロン島)にアラビカ種のコーヒーを持ち込んだといわれています。ただその当時、シンハラ人たちはコーヒーの実からコーヒーができることに気づいていなかったのだそう。そのため、彼らはコーヒーの葉をカレーを作る際に加える香辛料として、さらに、コーヒーの花を供物として寺院に献上していました。
コーヒー栽培に乗り出すオランダ
16世紀にはポルトガル領になっていたスリランカでしたが、ポルトガル人による支配からの解放を求めて、当時すでにインドネシアを植民地化していたオランダに助けを求めます。しかし、ポルトガルから解放されたと思ったのも束の間、今度はオランダによる植民地支配が待っていました。
1740年、植民地で栽培したコーヒーを輸出して莫大な利益を得ようとしたオランダにより、スリランカでコーヒー栽培が始まります。しかし、スリランカでのコーヒー栽培はなかなか軌道に乗らず、1762年の年間生産量はわずか45トンほどという散々な結果に終わり、商業ベースに乗せることはできませんでした。
イギリス統治時代に初めて商業ベースに
フランス革命戦争でオランダがフランスの支配下に入ると、機に乗じたイギリスがオランダの植民地を攻略していきます。スリランカもその例にもれず、1815年のウィーン会議によって正式にイギリスの支配下に置かれることになりました。
イギリスもオランダ同様、スリランカで生産したコーヒーを貿易品に加えたいと考えましたが、海岸側に築いたコーヒー農園はうまく行きませんでした。しかし、ガンポラ近くにコーヒープランテーションを築いたイギリス人のジョージ・バードにより、初めて商業規模でのコーヒー栽培に成功します。
その後、1830年代にはどんどん規模が拡大して輸出も盛んになり、1860年には、ブラジルとインドネシアと同く、世界有数のコーヒー生産国へと成長を果たし、「スリランカコーヒー」が世界に知られるようになりました。
「さび病」の流行で下火になるコーヒー栽培
ところが、残念なことにスリランカコーヒーの天下は、そう長くは続きませんでした。1868年には、「さび病」がスリランカのアラビカ種を襲います。「さび病」とは、さび病菌と呼ばれるカビ菌の一種による恐ろしい伝染病で、この病気にかかると光合成機能がうまく働かず、やがて木が枯れてしまいます。
こうして、アラビカ種の代わりに病気に強いロブスタ種が栽培されるようになりましたが、スリランカのコーヒー栽培は衰退の一途を辿り、紅茶栽培へと取って代わられることになりました。
スリランカのコーヒーが買えるおすすめ店
スリランカのコーヒーが購入できるお店を3つご紹介します。
新鮮さが売りの「Soul Coffee」
幻のセイロンコーヒーを味わいたいのであれば、「Soul Coffee」がおすすめです。小規模農園の日陰栽培で育ったアラビカ種のシングルオリジン(1つのエリアで栽培されたコーヒー豆のみを使用)を丁寧にハンドピックし、焙煎後48時間以内のフレッシュなコーヒーを販売することで知られています。スリランカ・コロンボにあるカフェの多くが、「Soul Coffee」のコーヒー豆を使用しているのだそう。
Soul Coffee」の風味豊かなセイロンコーヒーは、オンライン販売も受け付けています。