たとえば、デュア・リパのライブでは、針が振り切れそうなボーカル、アコースティックギターのコードチェンジの際の弦と指がこすれる音、そしてドラムを文字通り“叩いている”打撃音が、一気に襲いかかってくるような迫力があります。
これらは、音楽的な細やかな技術や理論というよりも、もっと肉体的な強さを伝えるものです。それを浮き彫りにするために、オフィスの一角という音響的に整っていない場所で音楽を演奏するのですね。デュア・リパに限らず、『Tiny Desk』に出演するミュージシャンは、いわば素手の殴り合いの決闘に向かうようなものです。
音楽を通じて、“その人そのもの”があらわになる。ミュージシャンが圧倒的存在だとわかりやすくするために、環境を削る。それが『Tiny Desk』の醍醐味(だいごみ)なのです。
◆小沢健二の器用な手さばきと知性の切れ味を再認識するものの
今回の出演に際して、小沢健二はNHKのサイトで音へのこだわりを詳細に語っていました。テレビカメラからスマホカメラに切り替わるところで音質も変えた演出とか、生のドラムが演奏するたびに音が変わる「自然なムラ」の暖かみを持っていることを大切にしたとか。
とても本質的な話ですし、真のプロフェッショナルにしか追求できない奥深い世界なのだと思います。
しかしながら、本来のTiny Deskは、職人的な追求から一歩離れた良い意味のラフさ、音楽の大まかな味わいをわしづかみにすることに、企画の意図があります。それが「親密な」(intimate)という形容詞にあらわれている。
だとすると、生真面目なこだわりや高度な知性をある程度捨てる勇気も試されているというわけです。
今回の小沢健二は、その点において、やはり少し物足りなく感じました。音楽を思った通りに操作する知性やクリエイティビティは申し分なくとも、一つの音が五臓六腑(ごぞうろっぷ)に染み渡る感覚がない。