「この投稿の前段で<補正予算の賛否を理由に、重大な政治決断をすることはありません。>とあり、離党はそれが理由ではないから、重箱の隅をつつくような”誤報”ではある。怒ったふりをせざるを得なかったのは、前原氏が合流を画策する日本維新の会も補正予算案に賛成する立場だったからです。ただ政界には『理由は貨車で後からついてくる』という言葉があるように、政治行動の理由なんてあってないようなもの。前原氏の人間の小ささは相変わらずでした」

 前原氏は政界随一の「もっていない男」である。

 スラリとした体躯、甘いマスク、松下政経塾仕込みの弁舌で、早くから頭角を現し、2005年9月、43歳にして民主党代表に。半年後の06年3月、民主党議員が、ライブドア事件に絡み、同社社長・堀江貴文氏と自民党幹事長・武部勤氏の間に不当な金銭の授受があったとするメールの存在を国会で追及。だがそのメールは偽物だったことが明らかになる。このいわゆる「ガセメール騒動」で、前原氏は辞任に追い込まれた。

 やがて09年、民主党政権になると中枢に復帰。国土交通大臣になったのだが、八ッ場ダム(群馬県)建設中止を明言しながら実行できなかった。さらに外務大臣の時、京都市内の韓国籍の女性から毎年政治献金をもらっていたことが発覚。外国籍と認識しながらの献金で、明確な政治資金規正法違反。外相辞任に追い込まれる。前出・デスクが続ける。

「外相辞任直後、民主党代表選に出馬。政経塾の先輩・野田佳彦氏との決選投票にも食い込めず、敗退しました。政調会長に就いた際、民主党の”天敵”・産経新聞が、漫画『夕やけ番長』をもじり『言うだけ番長』という絶妙なネーミングをつけた。すると前原氏はこれに激怒して、産経の担当記者を記者会見に出入り禁止に。たいてい記者の『出禁』とは、事務所の出入りを指しますが、公の行事である記者会見では前代未聞。この懐の小ささでは、総理になれないわけです」