『ジョーカー』では法で裁けない犯罪者に対し、神隠しと称し、私刑を行う刑事たちの姿が描かれたが、『家族ゲーム』は教育というフィールドで行われた私刑だったのではないかと思う。
吉本の目的は沼田兄弟の更生にあった。沼田茂之が、真田宗多のようにならないように悪意に立ち向かう強さを教えること。沼田慎一が第二の吉本荒野のようにならないように、人の心を教えること。
しかし茂之も、いじめを克服し、仲間が増えると、今度はかつて自分をいじめていた少年をいじめる側に回ってしまう。その意味で誰もが、「吉本荒野」の持つ悪の力に魅せられており、その悪意の連鎖からどう抜け出すのか? というテーマが根底に流れている。
『家族ゲーム』沼田家の再生がどこか薄ら寒いワケ
だが現在の日本において、体罰を筆頭とする肉体的・精神的な痛みを用いた教育は肯定されるのか? 結局、沼田家は再生するのだが、どこか薄ら寒いのは、それがカルト教団による洗脳と何ら変わらないからだろう。
田子は吉本の悪魔的残虐性を、内側に取り込むことで、究極の教師となった。しかし、田子の沼田家での振る舞いは、本当に吉本を演じていたものなのか? 吉本の悪魔的魅力に、田子自体が吞み込まれつつあるのではないか? 「いいね~」と笑う櫻井翔の不気味な表情が、今も引っかかっている。