そして鵜久森はすぐに異変に気付く。九条だけが1周目とはまったく違う動きを見せたからだ。鵜久森は九条もまた、2周目を生きていると察する。それでも、D組の生徒とちゃんと向き合おうと覚悟を決めた九条の「独りじゃない」という言葉がなければ、鵜久森は1周目と同じ道筋を辿ったのかもしれない。九条の言葉に背中を押された鵜久森はD組で魂の叫びを聞かせたが、あれは1周目の人生で遺書代わりに残そうとしていた言葉だった。その鵜久森の叫びをきっかけに、D組は変化していった。九条にとっても鵜久森にとっても、2人がともに2周目を歩んだことは大きな意味があった。

 九条もまた、文化祭での鵜久森の言葉から、遅ればせながら鵜久森が2周目であることに気づき、「私は今、2周目の人生を生きています。そしてそれは、鵜久森さんも同じですよね?」と問いかける。化学準備室で2人が秘密を共有するシーンには、仲間を見つけた喜びはなく、この人生をどう生きるべきかという使命感が感じられた。10月に命を絶った鵜久森が知らない、九条が卒業式の日に殺されるという未来。それを聞いても動揺しない鵜久森からは、この半年近く、自分を変えようと必死に生きてきたからこそ身についた強さを感じた。

 第6話のテーマは、「自分の思いを伝える強さ」だろうか。31歳の誕生日を夫と友人に祝ってもらった九条は、「『好き』っていう言葉は自分や自分の心の中を世界にさらけ出すものだから(中略)『好き』って表に出すことは勇気だと思う」と話していた。そしてそのテーマで揺れていたのが、D組の東風谷葵(當真あみ)だ。文化祭の後、鵜久森への好意を思わず伝えてしまったものの、“鵜久森いじめ”に加担していた自分を「言う資格もない」と恥じ、鵜久森の反応を恐れ、鵜久森が言おうとした言葉を聞かずに逃げ去ってしまった。そのまま休学しようとする東風谷のもとを九条は訪れ、理科準備室で鵜久森と2人きりで話をさせる。そこでさらに驚きの事実が明らかになる。鵜久森の1周目の人生でも、東風谷は鵜久森に想いを伝えていたのだ。不登校になっていた自分のことを好きだと言ってくれた東風谷に「ありがとう」の言葉を返せなかったことを、鵜久森は悔やんでいた。鵜久森は気づく。東風谷に「ありがとう」と伝えるために、自分の2周目の人生はあったのだと。

 そして、衝撃の展開はラスト10分に起こった。鵜久森は「3回目は絶対にない」「人生のやり直しなんてものは、もうあり得ない」という確信を抱いていた。それと同時に、1周目で自分の人生を終えた10月4日より先の「明日が来る実感」がないことを九条に伝える。不安に駆られた九条が校内を探し回ると、地面に横たわる鵜久森の遺体があった。死の運命は変えられないのか。それとも、「2周目の人生の意味」を達成してしまったからなのか。