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『パンズ・ラビリンス』や『トータル・リコール』など、現実と幻想の境目があいまいになる映画というのは、いつも独特の魅力を持っている。9月6日(金)から全国公開となる『映画検閲』もまた、そういった作品のひとつだ。
『映画検閲』あらすじ
1980年代、サッチャー政権下のイギリス。暴力シーンや性描写を売りにした過激な映画<ビデオ・ナスティ>の事前検閲を行うイーニッドは、その容赦ない冷徹な審査ゆえに“リトル・ミス・パーフェクト”と呼ばれていた。
イーニッドがいつも通り作品をチェックしていると、とあるホラー映画の出演者が、幼い頃に行方不明になった妹のニーナに似ていることに気付き、次第に虚構と現実の狭間へと引きずり込まれていく…。
妹の不可解な失踪と未だ向き合えていないイーニッドは、真相につながるかもしれない不気味なホラー映画と、謎めいた映画監督の背後にある真実を解き明かすことを決意する。その記憶は創られたものなのか…?狂気に苛まれ自制を失うイーニッドに待ち受ける現実とは…。
レビュー本文
狂気を取り締まる人間が、狂気に駆られるというコンセプト
今作を見ながら脳裏によぎったのは、“ミイラ取りがミイラになる”という言葉。映画の内容を監視し、一定の基準をもって(クレイジーな)表現を抑圧する検閲係の主人公が、自らクレイジーになっていくコンセプトは独特で惹かれるものがある。
失踪した妹の記憶という心の闇と、映画検閲で目にしすぎた表現の狂気、何をしても社会に敵対しているような状態にある主人公のもろい心理状態に、かき混ぜられたそれらの闇がつけ込んでいく。