■ギャップは阿部サダヲの中にあればいい

 一方で、タイムスリップドラマとしては盛り上がってきたと思います。渚さんがオガワ(阿部サダヲ)の孫だったことが判明したり、古田新太がかつては錦戸亮だったことが判明したり、楽しい要素がたくさんありました。

 そしてオガワと娘の純子(河合優実)が阪神・淡路大震災で亡くなっていることが明らかになり、令和のオガワには「すでに死んでいる人」という厚みが加わることになった。

 自分がすでに死んでいることを悟ったサダヲの芝居。キャラクターとしての振り幅。おちゃらけとマジのギャップ。こういうことを、クドカンはやりたいんだと思うんです。お話に乗せて、役者の感情を振り回す。それによって、役者の中に人間が宿る。サダヲの中にオガワという人間が宿っていく。結局のところお芝居を見る楽しさというのはそういうところだし、物語は役者に人間を宿すためにあるという、今回の『不適切』はそんな風に見えました。

 だからこそ、やっぱりコンセプトと脚本の間にあるギャップが、いかにも居心地が悪い。どうにかなんないかな。無理かな。テレビだもんな。そんな感じです。

(文=どらまっ子AKIちゃん)