さて、昨年の11月23日に創価学会の施設「東京戸田記念講堂」で、池田大作名誉会長(享年95)の創価学会葬が営まれたという。
池田家を代表して、長男の池田博正主任副会長(70)がお礼の言葉を述べたが、そこに池田名誉会長の妻である香峯子(91)と三男で学校法人創価学会主事などを務める尊弘(65)が姿を見せなかったというのである。
「実は池田先生の晩年期から、博正さんと尊弘さんの兄弟の間には“不仲”の火種が燻っていたんです」(学会幹部)
池田には3人の息子がいたが、後継ぎには次男の城久を考えていたといわれていたようだ。
彼は大学卒業後、創価大に職員として就職していた。
「長男と三男は母親似ですが、城久氏は見た目に加え、気質も兄弟の中では最も大作氏に近かった」(同)
ところが、1984年10月、彼は29歳の若さで急逝してしまったのだ。
長男の博正は84年、関西創価の教師時代の教え子だった年下の女性と結婚していたが、2008年に離婚をしたそうだ。
学会幹部がこう打ち明けている。
「池田先生は一〇年以降、高齢ということもあって体調も優れず、頭脳明晰な状態でもなくなった。それをいいことに、博正氏が別れた奥さんと密かに“復縁”していたのです。都内で二人仲良く一緒にいる姿が目撃されたほか、親族の集まりにも二人で参加していたという話まであった。二人が堂々としていられたのは、池田先生の目が届いていなかったことに加え、原田会長の内々での承諾があったからなのです」
そうした身勝手な行動をとった兄に対して、尊弘は反発したというのである。
「その尊弘氏は、父親も知らない博正氏と原田会長の行動に激怒した。それで、兄弟の間に断絶が生まれたのです。憤懣やるかたない尊弘氏は、ここ五、六年、大作氏を、原田氏をはじめ学会幹部と面会させないほどになっていた」(同)
兄弟仲など、部外者にはどうでもいいことだが、気になるのは「1兆円」とも噂される池田大作名誉会長の遺産の行方である。
創価学会を大きくして、公明党という政党までつくった稀代の教祖の「功績」と「是非」は改めて評価しなおさなければならないはずだが、間違いなくいえるのは、池田大作亡き後に再び池田は出てこないということだ。
私見だが、政教分離という観点から見ても、公明党という政治団体は早急に解体し、純粋な宗教団体として歩み続けることが、残された信者たちの役割ではないか。
そうしないと、そう遠い先ではないうちに、公明党という政党の存在理由が問題になる時が来ると、私は考えている。