さて、前回のドラマでは、藤式部ことまひろ(吉高由里子さん)の書いた『源氏物語』が宮中の人々の間で評判を呼んで、皆がその虜になっていく様子が描かれました。まひろが執筆している局(つぼね)に一条天皇や彰子が足を運ぶ描写を見て、史実でもこういうことがあったのかが気になる方もいたかもしれません。

 寛弘5年(1008年)の秋、当時の宮中の慣例で、お産を控えた彰子(ドラマでは見上愛さん)が実家にあたる土御門第に宿下がりしていた頃には、一条院にいる天皇(ドラマでは塩野瑛久さん)のために『源氏物語』の草子をせっせと作っていたという記録が『紫式部日記』には出てきます。紫式部は毎朝、彰子のもとに参上し、昨晩に書いた原稿の清書をお願いしたそうですね。

 一条院にいる頃には、天皇の訪問もあったのではないでしょうか。ドラマではボカされていますが、史実の一条天皇は相次ぐ火事の結果、平安宮(御所)を出て、臣下の邸宅を御所風に改築したところ――いわゆる「里内裏(さとだいり)」で暮らすようになっていたからです。

 長保元年(999年)6月の火災以降、一条天皇は崩御するまで、母・詮子(ドラマでは吉田羊さん)の手で里内裏として改装された一条院で暮らすことが多く、中宮の彰子や、その女房である紫式部も一条院に出入りしていたのでした。一条院は、平安宮の北東に隣接する大邸宅とはいえ、さすがに宮中よりは手狭で、自由な空気があったようですね。

 ちなみにドラマの彰子だけは『源氏物語』の「面白さがわからぬ」と、作者にス トレートすぎる感想をぶつけていました。そういう内容は『紫式部日記』には出てきませんが、たしかに『源氏物語』のあのあたりの部分の光源氏は、ドラマの彰子が「何をしたいのかわからぬ」と評するにふさわしい問題行動を繰り返しており、義母の藤壺 の宮に手出しして密通し、兄・朱雀帝の婚約者といえる朧月夜という女性も寝取ったりもしています。